見出し画像

【インカの温泉街とは】 まさかのマチュピチュおかわりで、歳月の機微を感じたこと (ペルー旅行記2)

実は、ペルーを旅するのは2度目である。

最初のペルーは、約20年前。丸一日かけて世界の反対側に行くなんて、若い頃しか無理!と思っての旅だった。当時の私は知る由もない。

中年オブ中年になって、また来る機会に恵まれるなどと。

しみじみしながらリマから1時間ちょっとのフライト後、クスコ市(標高3000m)から車でオリャンタイタンボ駅へ。

オリャンタイタンボからは電車で1時間ちょっとのマチュピチュ村(標高約2000m)へ向かう。車内で知ったが、この移動は極めて合理的だったらしい。クスコ市の方がベースキャンプに相応しそうだが、標高が高いため、体にはきつい。標高2000mのマチュピチュ村ならば、身体にも優しい。旅程を考えて下さった丸石さんに感謝である。

翌朝早朝出発に備えて、今宵はバタンキュ。

そして翌朝。出発時は、霧雨だった。禊の雨だ。

バス停。朝6時半!

霧の中を25分ほどバスに揺られる。到着した山頂付近にも霧が垂れ込めていた。

帝国時代から利用されているインカトレール。
なんも見えん

この向こうにマチュピチュがいる。一度行ったから分かっている。でもこの霧では、心眼を開いても… 迷い以外、何も見えない。

腰を据えて、じっと待っていたらば…

お?
おおお???
出たーーーーーーー!
ワイナピチュ(向かいの山)も!

霧の向こうにお出ました古兵の夢の跡。マチュピチュ遺跡を発見したハイラム・ビンガムの感動たるや。

向かいのワイナピチュの全景はまだ見えないが、散策には十分。

天然の芝生とは思えない…
ペルーのロゴにも使われている「P」。太陽の神殿
断崖絶壁によく作ったねえ…

20年前は歩き放題、触り放題だった遺跡は、今、立入禁止区域も多く、順路も厳しく管理されている。一方通行で、戻ることは許されていない。

昔は昼寝もヨガもできた広場。今は入ることすらできない。
7:00~10:00までしか見られないインティ・ワタナ(「太陽を捕まえる」日時計)

昔はここも触れられた。

翼を広げたコンドルの神殿。見られるのは10:00~13:00まで

太陽神殿とコンドルの神殿には閲覧時間の制限もあるのだが、今回はどちらも見ることができた。これまた丸石さんのスケジューリングのおかげである。

手前の大きなグレーの岩が、ワカ

そこかしこの壁周りに、他とは違う形の大岩が残されている。これだけの石壁を作れる人々が、こんな岩を残していることには、理由がある。

インカ人は、こういった他とは違う異形のものを「ワカ」と呼び、尊んだ。敬意を表する対象として受け入れた。

顧みて、異形の物が蔑まれ、差別される現代社会。どちらの方が「進んで」いるのか。現代人は本当に進化しているのだろうか

水路もあり、石で弧を描く計算能力もあったこの文明が滅びた理由もそこにある、という説がある。スペイン人が現れた時、その「異形さ」に敬意を表した結果、金銀を奪われ、虐殺されたのだ。

その優しさや受け入れ能力の高さは、ペルーの人々に今なお引き継がれているように思う。この旅で出会った人々は、みな、とても優しかった。

ワイナピチュ山頂!
最後にも一度

3時間ちょっとの散策後、再びバスでマチュピチュ村へ下る。

夜にも薄々感じていたが、昼間に見るマチュピチュ村は… 懐かしの群馬の温泉街だったw

伊香保温泉…?
群馬ですか?いいえ、ペルーです!な川沿いの温泉街(違)

実際、付近にはアグアス・カリエンテ(スペイン語で「お湯」)という温泉街がある。伊香保温泉、マチュピチュと姉妹都市になったらいいのに。

お腹が空いたので、村のイタリアン(!)に入る。そこで頂いたのが…

パッと見、ローストビーフ

アルパカのピザ!!!!!!!!!!

あの可愛い子が!バッサバサのまつ毛のフカフカな子が!!!ピピピザに!!!!(美味しく頂きました)

キヌアのスープ。お野菜たっぷりで卵も半熟!

マチュピチュ村からは、再び電車に乗って、オリャンタイタンボへ。

イタズラ好きの精霊サクラと、ファッションショーのモデルさんら。実は客室乗務員さんたちw

しつこいようだが、20年前は、群馬のローカル電車の如き車両だったが、今回の電車は、座席がふかふか。天井も一部ガラス張り。飲み物とおやつのサービスもある。とどめは、車内で行われるアルパカ製品のファッションショー!!!!

隔世の感があった。20年前に行ったからこそ比較ができる。時が経つとは、こういうこと。

そして到着したオリャンタイタンボ。

黄色い町並み

雰囲気のある可愛い街。前来た時は、段々になっている遺跡に行った。今回は街のみ。それも面白い。

ここからは、再びクスコ市へ。その道中で、次回訪問(←え)のターゲットを発見した。

白い楕円形の昆虫の卵みたいのが3つ、岸壁に張り付いてるのが見えますか?
アップにすると、これ

これ、なんと宿泊施設である!楕円形の部分が宿泊室、右側のミニドームが食堂!!!

登る時はロッククライミングの要領で(ハーネスつけて)登り、一泊後に帰る時はジップラインで降りる。目の前を流れるウルバンバ川のせせらぎを聴きながら、満点の星空を楽しめることで人気を博しているそうだ。ここ、絶対泊まりたい。次回に持ち越し。

コロニアル建築の、クスコの宿の中庭。

クスコ着後、バタンキュ。

翌朝、朝7時のバスに乗り、一路プーノへ。11時間の長旅の途中、あちこちに立ち寄った。

「アンデスのシスティーナ礼拝堂」アンダワイリャ。中は撮影禁止。砂漠のど真ん中にこんな豪華な教会があるなんて!後から調べたら、南米で一番古い壁画だったらしい。
南米のレイライン上にある、ラクチ遺跡(と、名物ツアガイドのマルガリータさん)
ララヤ峠。標高4335m!さむ

日もとっぷりと暮れた頃、プーノのベースキャンプの宿に着く。ここから昨日の日記に続く。

最後に、マチュピチュ、クスコ、プーノの旅行を手配してくれた、UKHU TRAVELの丸石さんに感謝を述べたい。

何を尋ねても答えが返ってくる丸石さんの知識量のおかげで、豊かな旅になった。

彼がいたから、何の心配もなく旅にどっぷりとのめりこめた。昨日と今日に書いたことも、多くは丸石さんと、プーノでアテンドしてくれたJorgeから教わったことだ。

https://www.ukhutravel.com

丸石さん、本当にありがとうございました!

次は、マチュピチュ前と、プーノ後を過ごしたリマ市について!

明日も良い日に。


この記事が参加している募集

旅のフォトアルバム

言葉は言霊!あなたのサポートのおかげで、明日もコトバを紡いでいけます!明日も良い日に。どうぞよしなに。