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480/1000 【執着とは】 舞台 「スリルミー」成河x福士誠治

意外と早く見つかりました

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猟奇殺人犯「わたし」の仮釈放申請で、舞台は始まる。

凄惨な殺害方法だったらしいが、当時の被告は19歳。だから死刑を免れたが、その後34年を牢の中で過ごしてきた。

あなたは自分の犯した罪を反省しているのですか?

こんな問いかけに応じるように、「わたし」は事件の背景を語り出す。

この「わたし」=成河の芝居モンスターっぷりが半端なさすぎて困る。(語彙力)

一瞬で19歳と53歳がコロコロ替わる。何度も何度も。

冒頭に登場した瞬間も、「べ、別人?!」と思うほど老けていた。それがコンマ1秒で、昔の19歳の(見慣れている)若々しい「わたし」が立ち現れる。前から2列目で見てるのに、自分の目を疑うほどの老人ぷりだった。

ニーチェにかぶれて、自分をそこらの愚昧とは違う「超人」だと思い込もうとする弱い「彼」(福士誠治)。彼を愛する臆病な「わたし」。

「彼」は「わたし」から寄せられる愛情を知りながら、「わたし」を弄び、「スリル」を味わうための犯罪に引き込む。

「わたし」は彼を繋ぎ止めておく為に、「彼」の言いなりに動き、犯罪に手を染める。その犯罪はどんどんエスカレートしていき、とうとう殺人を犯すまでに至る。

最後に明かされる、その最中に潜む「わたし」の駆け引きのカラクリ。

うわあああああああああ(語彙力again)

執着って、人間に特有の業のように思う。もしかしたら、脳の欠陥なのかも知れないとすら思う。理不尽な事柄の多くは、執着が原因にある。そして理不尽も、人間界に特有の事柄なのだ。

仮釈放が認められた「わたし」は返却された所持品の1つである「彼」の若き日の写真を見て、微笑む。

99年、ずっと一緒だ

わたしが社会復帰しても殺人を犯すことは無いだろうけれど、この人は反省してるから出たいわけじゃない。

同じ檻に入ったはずの最愛の人がいないのなら、せめて檻の中では許されない、彼の写真と共に過ごしたかっただけだ。

2人の役者とピアノが1台。舞台装置と言えば、タイプライターと昔懐かしい電話が2台。それだけで物語は進んでいく。

100分が30分くらいに感じた。

緊急事態宣言発令につき、今日が東京千秋楽になった。思いも掛けないギリギリセーフ感。

そういえば去年もそうだった。いろんな舞台が中止になる中、最終日を含めてギリギリ見られたものが何本かあった。その時は、ギリギリであることにただ感謝しただけだった。

その後、いろんなことがあった。

ここまで舞台が復活するのに、どれだけの努力があったか。

それがあっという間に消されてしまう。

本当に、これでいいの?

なんで、これでいいの?

考えがぐるぐるして、纏まらない。







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