現実逃避としての切り絵
私が滞在していた頃の中国は、ネット環境が日本と同じような感じではなかったので、日本で普通に行っていたようにSNSをしたり、ネットサーフィンのようなことがスムーズにできなかった。
そんな状況だったので、ついネットを見てしまう、みたいなことが自然と減ってきた。
思いがけず、デジタルデトックスできたのである。
そこで私が行き着いたのは、デジタルを使わないアナログな趣味、切り絵だった。
いや、初めは農民画だった。
中国の伝統文化の一つ農民画の素朴な雰囲気に惹かれ、やってみたくなったのだった。
そして、中国人の先生が農民画と篆刻と切り絵を教えている教室に行ってみることにした。ここに行くと決めた一番の理由は、子連れでも参加できたことだ。幼な子とのマンツーマン生活を打破するため、通うのは大変だったが、その後何度も足を運ぶこととなる。
農民画は、何枚か描き、それっぽいものが描けるようになった。しかし、絵の具を使った塗り絵のようでわりと早い段階で飽きてしまった。
教室で一番の人気だった篆刻も体験してみたが、いまいちはまれない。
最後に手をつけたのが、切り絵だった。
中国の切り絵は「剪纸」(jiǎnzhǐ ジエン・ジー)と呼ばれ、こちらもまた歴史ある文化の一つだった。
使う道具は、カッティングマットとデザインナイフとハサミ。
教室で指定された図案を、折り紙より薄い紙で折ったり切ったりしていた。始めた当初は、簡単な図案でも上手く切ることができなかったが、次第に上手に切れるようになった。
何度か通い、ある程度切れるようになったら自分好みのものが切りたくなってきた。
そこで、日本の切り絵の本を取り寄せた。
図案はあるが、切り絵用の紙がない。
そこで、現地のDAISOで白い画用紙を購入した。商品は、日本からの輸入品になるため、日本と同じ価格ではなく確か全て10元だった(当時のレートは1元=17円くらいだったので170円ほど)。それでも、物価の高い現地では、人気店だった。
画用紙だと、切り絵をするには分厚く切りにくい。
そんなことも構わず、私は没頭して切り続けた。
振り返ってみれば、この分厚いものを切る行為が手や指への負荷となり、指の力をつけ、細かい複雑な形状のものを切る技術を鍛えることにも繋がったようにも思われる。
海外での幼い子供との生活は、一言で言い表すなら「孤独」。
当時の上海は日本人も多く駐在していたが、我が子はまだ幼く幼稚園や学校に通ってなかったため、人間関係はごく限られたものだった。
家族以外で日本語を交わすことが、全くない日もざらだった。しかも子供は幼く、まだ話せない。いや、話せても単語やはっきりとした言葉以前のホニャホニャした意味の分からないものばかりだった。
小学校などの学校関係が休みになる夏休み期間中は、一週間ほど日本人を見かけることさえないこともあった。
そんな孤独な日々を癒すのが、一日の終わりに取り掛かる切り絵だった。
言葉だけ聞くと、危うい意味にもとれるけれど、カッターで切る行為は、元々何かを作ることが好きな私には合っていた。
ひたすら、ざくざくざく。
全てを忘れて没頭した。
現実逃避、である。
こうして、しばらく切り絵をする日々が続いた。
現実逃避ができる、とすっかりはまり、一時帰国時には切り絵用の紙を手に入れ、さらに切り絵の世界へ一人邁進していった。
自然と切り絵が上手になり、色々なものが切れるようになった。
本帰国してからは、切り絵作家の方が開く教室にも通った。
が、ここしばらくしていない。
日本は、できることの選択肢が増えたからかもしれない。
海外生活、辛いことも多かったけれど、切り絵に巡り会えたのは本当に幸せなことだったよなぁ、と心から思う。
切り絵は、精神衛生上にも効果があるとのことだし、このコロナ禍には良いかもしれない。また取り掛かろうかな。
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