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検証:山形 大沼百貨店倒産② ~ 伏線はもっと前

2020年1月26日に破産申請した山形の大沼百貨店(以下、「大沼」)について事業再生の専門家の立場で検証した記事の第2回です。
山形の方、小売、百貨店や地方企業に関わる人むけです。
前回より短めで3分くらいで読めます。

前回の記事 ↓

前回の記事では、本件は

「地方の百貨店は厳しいからね~ しょうがないよね~」

で単純に片づけられる話ではなく、
「初動が遅かった」
「傾く会社で権力争い」
をした事案であり、
「しょうがないよね」で片づけることへの疑問と
「自分が相談を受けていたらどうしたか?」を書きました。

第2回である今回は
問題がこじれた伏線が2005年の創業家出身の社長就任にあるのでは?という仮説に沿ってまとめます。

「サッカー選手に野球監督を任せた」ことに無理がある

株主が変わって以降の経営の混乱は上記の記事のとおりです。
小説に伏線があるように、混乱にも伏線があります。
私は、伏線はもっと前、2005年より前にあると考えています。

大沼の経営難は直近数年の話ではなく、20年前の2000年ごろから続いていました。赤字が続く中、2005年に社長に就任したのが創業家出身の児玉賢一氏でした。

東京大学大学院工学系研究科修士 ⇒ JR東日本入社 
2001年に大沼の大沼八右衛門社長の長女、千賀子さんと結婚、翌02年JR東日本を退社して大沼入社し、05年より社長 

ん? 鉄道のプロですよね?
「サッカーも野球も同じ球技だし、野球の監督もやってよ」とばかりに
「サッカー選手に野球監督を任せる」人事をしています。
2005年時点で大沼の経営はかなり苦しく、このタイミング、もしくはリーマンショック後、震災後に外部から百貨店経営に長けたプロ経営者を招き、外部スポンサーも入れて再建する選択肢はなかったのでしょうか?

毎日3,000人が山形から仙台へ買い物に行っている実情を聞かれ、児玉社長は

中央線2本分の乗客に過ぎません

と地元紙の質問に答えています。「周囲がきちんとサポートしていない」「かわいそう」と私は思います。(インタビューにも少し後悔の念が見えますが…)

この記事の写真の東京の百貨店の客単価が8千円前後、来店者の7割が購買するという百貨店の特性を踏まえると、山形の顧客が仙台に買い物に行くことによる1か月の影響額は

3,000人 × 8千円 × 7割 × 30日 ≒ 5億円/月 
⇒ 年間60億円

企業1社が吹き飛ぶほどのインパクトですが、その点を楽観視した(アピールもあるのでしょうが)発言をしています。
その後、児玉社長が経営難に苦しんだことは既に報道されているとおりです。

なぜ、同族承継にこだわったのか?
なぜ、自力再建断念が遅かったのか?
なぜ、児玉氏をサポートする体制が不十分だったのか?

一連の大沼の判断に助言する立場だったのはどこでしょうか?

同族達のガバナンス

大沼が江戸時代から続く非上場の同族経営であることは報道の通りです。
実は、メインバンクの山形銀行も明治時代(米沢藩士が設立)から同族経営が続いています。代表者がこれまで二つの創業家の交代制で、現在も役員に同じ名字の方が続いています。 (取締役も頭取の娘さんです)

複数の地方銀行で江戸時代からの藩士一族による、同族経営が続いていることは意外と知られていません。
そして、「同族のプライド」が地銀間の統合を妨げている、頭取の在任期間の長期化を招いているという機関投資家の見方もあります。

大沼と山形銀行。
江戸時代から続く2つの同族企業。
この2社は取締役レベルで人事交流がされています。
2014年、山形銀行出身者が大沼副社長に就任したとあります。
このときの副社長は偶然かもしれませんが、「児玉」姓でした。

大沼と山形銀行が通常の「融資先と銀行」の関係でなく、人事レベルで交流のあった親密な関係であったと考えられます。

だとすれば、2005年の児玉賢一社長就任時に、先述の
・同族経営ではなくプロ経営者を招く
・自主再建ではなくスポンサーを入れる
ことについてメインバンクとして山形銀行は大沼に助言する立場にあったはずです。

「同族経営=悪い」などと単純なことを言うつもりはありません。世界に誇るトヨタも創業家出身者が社長ですし、上手くいっている例もあります。
そして私自身も相当しょぼいですが、「創業家」のハシクレでしたので、大したことは言えません。
ただ、同族だからこそ、早めに突っ込んだ議論も可能だったはずです。

地元のお客さん、取引先、従業員のためにプライドを捨て、あらゆる打ち手を考える。そして、それは早ければ早いほどいい。
今、地方の会社に必要なことだと思います。
現実を踏まえて、「地元資本」にこだわらず、打ち手は考える必要があります。

自分も関わってきた会社全てが誇れる実績だったわけではありません。
ただ、常にベストを尽くして考えることはしてきたつもりです。今回の一連の判断が、ベストを尽くされたものなのか?これまでの延長で考えられたものではなかったのか?と思います。

次回に向けて

次回3回目は私的整理のスキームと関与したファンドについて書きます。
コロナウイルスの話題で持ちきりの中、読んでいただきありがとうございました。。。

第3回:"うさんくさい"ファンドがなぜ選ばれたか?
https://note.com/ikkudo/n/nac0e028d120a

参考記事
地元紙の執念に敬意を表します

https://www.yamacomi.com/8543.html

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