世界遺産「姫路城」に行ってきました。その4
世界遺産検定1級を目指して勉強しているみずたまです。
さてさて今日は、
世界遺産「姫路城」に行ってきました。
の4回目💦
長くてごめんね、ごめんね~です(笑)
でもでも、どうしてももう一つ、いや二つ?三つ?お伝えしたいことがあるので、どうぞお時間がある方はご覧くださいね😊
前回までの記事はコチラ。
その1 菱の門~西の丸百閒廊下~化粧櫓
その2 化粧櫓~将軍坂~姥が石
その3 大天守へGO!
ではさっそく参りましょう。
本日は、大天守を出たところからスタートです。
姫路城は連立天守方式と言って、大天守と小天守を廊下や櫓で結ぶロの字型になっています。
この小天守を通って外に出るような順路になっています。
東小天守から乾小天守に続く長いロの廊下には色々な展示物があるので見飽きません。
その中でもこの写真。
世界遺産検定1級のテキストにも載っていますが…
これは第二次世界大戦中末期に、姫路城が空襲の標的にならないようにコールタールで染めた黒い網がかけられた様子です。
こうやってカモフラージュしたのですね。
これを見た時私は「白亜の建物」と呼ばれる東京の国会議事堂も空襲から守るために、コールタールを壁に塗ったという話を思い出しました。
他にもこういった例はあるのかもしれません。
さて小天守の展示物を一通り眺めて城を出ると、かつては池田輝政の御殿があった備前丸、そして備前門に出ます。
それではここで、本日のQuestion!
備前門には他よりもひと際大きい石が使われています。これは転用石と言って、他のことに使われていた石を転用しています。
さて、この大きな石。
元々はは何に使われていたでしょう?
正解は・・・
古墳の石棺を使った
です。
石棺というのは、古墳などに納められている石づくりの棺、です。棺ですので、当然中がくり抜かれており、強度的に弱いので
大修理の時に入れ替えられたものもあるようですが、備前門の石棺はそのまま使われているようです。
輝政が築城する時に石不足であったため、古墳から石棺を取り出して転用したとか。説明書きにもありましたが、姫路周辺の古墳がいくつも破壊されたことが、想像できます。
うーん、棺を使うのはどうなんでしょうか…それぐらい石不足だったのでしょうかね。
複雑な思いを抱えながらも先に進むと、やってきました!
みずたま的2つの萌えポイント~❤
まずは、「ぬの門」で見ることができるの鏡石です。
鏡のように顔を映す、ということですが・・・
マークしてみました。
「鏡石」はまたの名を「人面石」とも呼ばれ、睨みをきかせ邪気を払うという
呪術的意味もあると言われています。
更にこの「ぬの門」をくぐれば、お待たせしました。
姫路城と言えば石垣。
石垣と言えば姫路城。
これが見たかったー!!!
そう、姫路城の代表的な石垣と言えば、この
扇の勾配
です。
扇を広げたような形からきているよう。
しかし名前がステキすぎませんー?
ネーミング良き~❤
そして見てください。この美しい石垣の積み上げ方。
石垣の上に行くほど反り返っていて、敵を上に登らせない工夫があります。
この反り返ったカーブ部分は算木積みといって、石の長辺と短辺を互い違いに組んで強度を持たせています。
美しいですね。
柱に続き、この石垣の写真もたくさん撮っちゃっいました(笑)
というわけで、最終回はこれにて終了です。
石のことばかり書いちゃいましたが、大丈夫だったかな💦
私的には扇の勾配がとても見たかったので、実際に見られた時は感動しました。
石を見て喜んでるのは、私だけかなあ😅
姫路城に行かれた際には、天守ももちろんですが、ぜひぜひこの石垣にもご注目くださいね❤
それでは4回にも渡って姫路城の旅の記録をご覧いただき、ありがとうございました。
最後はホテルの朝食で食べた「姫路おでん」が美味しかったので、その写真でおしまいにします🤭💕
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