いつからだって変われる
動作学って何だろう?
この学問に惹かれてマガジンの執筆をしているというのに、ズバリとわかりやすく説明ができないまま数年が経ちました。
今もまだ一言にまとめられる気はしませんが、それでも数年前よりはグッと理解が深まって、これまでとはまた違う方向から動作学というものが見えてくるようになりました。
動作学とは、ヒトが生きること、ヒト(と人類)が進化することについて、その核にある科学的な仕組みを学ぶ学問だと言えるのではないでしょうか。
たとえば自動車が動くのには原理原則となる仕組みがあります。
仕組みがわからなくても運転はできますが、故障をした時や、「燃費良く走りたい」とか「加速をスムーズにしたい」というような願望が出てきた時、構造を知っていればどこをどうすればいいかがわかって、いろんなことに楽しんでチャレンジできるようになります。
もちろん、車の改造はダメなのであくまでもたとえです。
ただ、世界で唯一の、一生を共にする自分という存在について成り立ちを知っておくことは、人生を豊かに面白くするって思うんです。
じゃあ、ヒトが生きること、進化することの核となる仕組みって何なの?
これまでもずっと書いてきたことなのですが、今回は今までと違う方向から総論をまとめてみます。
今起きていることの背景にある仕組み
まず、このマガジンで必ず出てくるインプット・プロセス・アウトプット(知覚行為循環)。
これは、今現在のあなたの存在というものを紐解く仕組みです。
今のあなたは、五感をはじめとするさまざまな感覚をインプットし、脳がすべてのインプット情報をプロセス(処理)した結果、今この瞬間に最適なアウトプットを出した状態として存在しています。
これを簡単にいうと、今のあなたの状態(アウトプット)は、あなたが今まで何をインプットして、脳がそれらをどうプロセスしたかで決まっているということ。
だから、状態を変えたかったらインプットかプロセスを変えるしかないんですね。
このマガジンで、意識的なインプットの変化、プロセスの見直しについて何度も書いているのは、それこそが自ら変化を促す仕組みに他ならないからです。
一方で、意識してもしなくてもインプットする情報というのは随時変わっています。
たとえば、あなたが今この文章を読みながらコーヒーカップに手を伸ばしたら、その動きに応じて情報は変わって、コーヒーを一口飲んだらまた情報に変化があって、というふうな細かさで脳へのインプット情報は変化しているんです。
その変化にスムーズに対応するために、ヒトは揺らぎ(動的平衡)という働きも備えています。
インプット情報が変わると、それまでとはバランスが変わるのですが、その度にバランスを崩していてはとても生きていけないので、バランスが変わった状態で新たなバランスを保てるように私たちは揺らぎ続けているんですね。
それでいうと、常に元気で、常に明るい、というのはある意味とっても不自然で、疲れたり、ちょっと沈んだり、ということも挟みながら私たちはバランスを取って生きているのです。
これから変わっていくための仕組み
インプット・プロセス・アウトプット(知覚行為循環)と揺らぎ(動的平衡)は今現在のあなたを見るのに使える法則ですが、これらを繰り返していると未来には適応という変化が起こります。
たとえば車の運転を始めた頃は新しいインプット情報が多くて、運転のたびに疲れるというような揺らぎが起きますが、がんばって繰り返しているといつのまにか運転することがごく普通に感じられるようになる…適応という変化が起こった一例です。
車の運転だけでなく、私たちが普段何気なくしていることのほとんどが適応の結果とも言えるんです。ただ、ひとたび適応してしまえば意識しなくても自然にできるようになるので気づいていないというだけで。
適応した結果として、現在の自分がいい状態なら大万歳。けれど、そうでないとしたら、自分が何かしらの理由で今のように適応したということを認めて自ら変わっていかないことには変化はしにくいんです。
自ら変わっていくというのは、今ここのインプットとプロセスを見直す、ということ。
今の状態を見直し続けることが、それを積み重ねていった先の適応につながるんですね。
適応と呼べるくらいまでの変化を起こすには、知識と行動の両方が重要だと思っています。
知識というのはまさにここで書いているような変化の仕組みのこと。それを知っていれば、変化したい時に何をすればいいかがわかりますし、揺らぎがあっても動じなくなりますし、適応するまで粘れるようになります。
と同時に、どんなに仕組みを理解していても、行動に移さないと変化にはなりません。というのも、変化は神経系といった体の変化も伴うものだから。
逆にいうと、仕組みを知って、その仕組みを上手に使えれば、いつからでも誰でも変化ができるはずなんです。