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テレワークの準備をしていたら「あしか祭」を読みたくなり、村上春樹全集を読んでいろいろ思ったこと

 泥棒猫です。

 うちの事業所でもいつテレワークになってもいいように、一応の準備を進めている。

 毎日、幹部の間で電話会議が行われ、営業部門と間接部門から始めようとか、東京・大阪はPCが足らないとか、ワーワーと発言はあるけどあんまり定まらず、とりあえずスタートしたもののまだ私の事業所までは及んでいない。

 会議の様子は誰でも聞けるしライブカメラでも観られる。その様子を見ていて、何故か村上春樹の「あしか」の出てくる話を読みたくなって、この週末は全集を引っ張り出して読んでいる。

 

 「あしか祭り」

 「あしか」

 「月刊あしか文芸」


 昔読んだときは、なんだか滑稽だという感想を持ったかなぁ。

 今は、「あしか」を日本的サラリーマンに重ねてしまう。そして微笑ましいと思ってしまう。私はサラリーマンに絶大なる好意的視線を送っているし、組織って嫌いじゃない。日本的伝統のなんだか分からない社風だとかそうゆうの、大キライだったのにいつの間にかその悠長さ、退屈さが尊いもののように思えて。

 

 きっといろんなことがこの春をきっかけに変わる。それはそれで良いことだし、そうなって欲しい。でも仕事ってやっぱり直接集まってしたいなぁ。それは古い感覚なのかな。


 外出自粛要請が出たら、余計に人と会いたくなる。そういう人ばかりじゃないらしいけど、私は会いたくなる。煩わしい付き合いや、承認のハンコもらうことや、お昼時間のお店の混み具合、全部早く戻ってきて欲しいな。


 それにしても「あしか」って可愛いよね。あのツルツル具合。髭。つぶらな目。エビフライみたいな尻尾(?)。


 「あしか」の話はとても短いので、他の短編ももちろん読む。

 村上春樹全作品1979-1989 ⑤

 この中に「レーダーホーゼン」という短編がある。

【「母が父親を捨てたのよ」とある日彼女は僕に教えてくれた。「半ズボンのことが原因でね」「半ズボン?」と僕はびっくりしてききかえした。】

 妻の友人がたまたま予定より早く訪ねてきて、帰宅までの間の世間話で彼女が語ったこと。

 彼女の母親は彼女が大学生の時、突然出て行った。父と彼女を捨てて。どうしてなのか。

 それは、母がドイツ旅行に行った際に父への土産にレーダーホーゼン(半ズボン)を買い求めようとしたことに端を発する。

【「そして母は自分がどれほど激しく夫を憎んでいるかということを初めて知ったのよ」】

 結局理論的な理由は分からないけど、娘は母を許すことができる。少なくとも憎むことはできない。私もこれは理解できる。レーダーホーゼンはトリガーなだけで、いつでもどこでもそういったことは起きるということが理解できる。そして、【「この話のポイントは半ズボンにあるのよ」】というのも。


 そこでいきなり、昨年の8月の記憶に飛ぶ。

 私の彼は普段はスーツでビシッとしてるが、そして私服も日曜日のお父さん的ではあるが小綺麗でいい感じではあるが、8月のお盆休みのある日、奥さんにいろいろバレてほんの隙間の時間を盗むように会った日の服装はちょっと・・・。

 短パンにクロックス、髭も剃ってなかった。

 ※膝ぐらいの丈のパンツ。あれはなんて呼ぶの?

「短パン!」と、思わず言っちゃった。

 後から『短パン、ダメだった?』とメッセージが入った。彼も、マズかったなと思ったのかな。


 でも普段着の、お家でゴロゴロしてる彼。それを頼もしく思う家族がいる。

 またはイラッとしつつ、憎む日もあるのかな。

 憎んでも、それでも離れることがないって分かってるから安心して寛げるんだよね。いいなぁ。彼は。何でも待ってるなぁ。


 など、たくさん考えることができるのも、読書は本当にいいよね。


 

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