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恒川光太郎「秋の牢獄」

 本格的に冬じみてきたと思ったら既に十二月の半ばになっていた。慣れないからか、陽の照る間は暖かいからか、幼稚園に通う息子はいまだに長ズボンとジャージを着ることを拒否している。そのくせ自転車に乗る際は掛毛布を要求してくる。厚着をしていると送り迎えの最中に汗ばんでくるので、私の服装はまだ秋から抜け出していない。秋の牢獄に繋がれたままである。

 本の題名に無理やり繋げてみた。
 KindleUnlimitedで読める本のうち、怪奇やホラー系の小説をざっとDLしてみた。海外文学で懐かしい著者の翻訳が出ていたのがきっかけだったが、一気にDLしたところで読むのは一冊一冊、一行一行、一文字一文字であるわけで、初見の日本人作家へと目が伸びた(手を伸ばした、のやや気味悪い表現)。

 表題作は「十一月七日」に閉じ込められた人々の話。ループする世界で仲間を探し、しかし散り散りになっていく人たちが描かれている。何でもない一日を延々と繰り返しても、出来ることは限られている。気の合う仲間たちと日帰り旅行を楽しむ姿は、暗くなくていい。自分もそのような世界に閉じ込められたら、出来る限り楽しんでやるために、この方法を選ぼうとまで思えた。

 定期的に日本中を移動する藁葺き屋根の家に閉じ込められた男の話「神家没落」、幻を見られる能力を謎の老婆に与えられた娘の辿る数奇な人生を書く「幻は夜に成長する」の短編三編収録。「幻~」で力が強大になりすぎて、抑えているのに溢れ出す幻術が、自分自身を追い詰めてくる箇所の描写が恐ろしかった。


 車同士がぎりぎり擦れ違える幅の住宅街の道が、ある境から一軒の建物もない砂浜になっている。
 砂浜の先には海が広がっていた。
 幻だった。
 そこに海も砂浜もあるはずはないのだ。
 灰色の空の下、人気のない砂浜には、骸骨の女が全身を炎に包んで手招きしている。
 現実の道の先には踏切があったはずだと思い出す。先に進むわけにはいかない。


 本作を読み終えた後、元々の目的であった、海外文学古典作家の怪奇小説集ではなく、恒川光太郎の他の作品をDLしている。午前中に我が家に射し込む陽の光は暴力的なまでに暑く、カーテンを閉めて暖房を消さないと熱中症の危険まで孕む。冬に「秋の牢獄」を読みながら、夏のような和室の窓際を眺めている。何かの花粉が飛び始めたのか、鼻がむずむずして、春先の花粉症を思い出す。狭い家に四季が散りばめられている。




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