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伊東潤「天地雷動」

 武田信玄の死去から長篠合戦までを、武田勝頼、羽柴秀吉、徳川家康、及び実戦を代表して、武田軍配下の地侍宮下帯刀の視点から書いている。

 鉄砲部隊の三段構えから放たれる、間断なく撃ち込まれる鉄砲掃射により、無敵を誇っていた武田騎馬隊が殲滅させられる。誰もが知る結末ながら、「どうして武田軍は突撃し続けたのだろう」といった疑問は私も抱いていた。今作はそこに至る経緯を、突出した戦略家であった織田信長の搦手から始めている。先の先の先を見据えている信長は、弾薬の流通を抑える所から武田を追い詰めていた。

 信長の為に働く秀吉は、周囲からは、出世欲に駆られた欲の亡者とも見られていた。しかし家柄もなく、功をあげることでしか出世の道はない。敵対勢力を倒すだけでなく、身内にある秀吉憎しの面子を懐柔することまでしなければならない。やり続けなければならない。そうしなければ、信長に仕える以前の身に落ちてしまう。どれだけのものを築き上げていても、終わりはあっさりやってくる。


「ここまで、わしは駆けに駆けてきた。本音を申せば、人の上に立ちたいとか、大きな屋敷に住みたいとか、うまいものを食いたいと思って駆けてきたわけではない。次々と立ちはだかる厄介事を克服すれば、殿の喜ぶ顔が見られる。それだけのために駆けてきたようなものだ」
「それは分かっておる」
 秀長が、いたわりを込めた声音で言った。
「他人は、兄者のことを欲の亡者のように言う。しかし突き詰めれば、人とは他愛のないものに突き動かされておるのだ」
「そなたも、人というものが分かってきたな」


 秀吉にとって弟の秀長の存在がどれだけ大きなものだったかがよく分かる。

 読みながらふと、勤めていた会社のトップのことを思い出した。
 名古屋から赴任してきた彼は信長になりたかったのでは、と思う。手駒として使える秀吉のような存在を多く作りたかったのでは、と。
 現実の信長気取りの人はほとんどが失敗し、ただ部下に圧力をかけるだけの存在になってしまう。冷徹に人を切り捨てていきながら、その責任を負うことからは逃げ出していく。私にとっては「絶対に許せないこと」をいくつもやらかしたそんなトップに私はついて行けず、娘の不登校が始まるタイミングと合わせて退職したのだが、今でも後悔はない。

 勝頼サイドでは、信玄時代に脇を固めた実力派の宿老達が口を出してくるのに勝頼が閉口している。先代の血を継ぐだけで認められるわけではない。結果を残して身内を黙らせなければ、主君として生きてはいけない。

 家康サイドでも印象に残った武将がいた。
 大賀弥四郎という人物を家康は可愛がり、取り立てていた。
 信長陣営で秀吉が成り上がっていったように、武田信玄が身分にとらわれず春日虎綱を重用したように、家康もそのような人物を作りたかった。大賀弥四郎は期待に応えてくれるかと思われた。しかし結局弥四郎は松平家の家風では周囲からの締め付けによりやがて破滅する、という未来を予見し、武田軍に寝返ってしまう。人が人を思うように動かすことの出来ない虚しさを感じた。
 
 先に上げた会社的に言うなら、私は離反した弥四郎側とも言える。秀吉になる気はなかったしなれそうにもなかった。ただ心残りがあった。口を開けばいらないことをいくらでも言ってしまいそうだったので、これまで世話になった人達への挨拶をあまり出来ていなかったことだ。この本を読み終えた日に、夢を見た。以前目をかけてもらい、今では本社の方でかなり偉くなっている方に、ようやく別れの挨拶をする夢だった。現実には何も変わってはいないが、一人で勝手に一区切りついた気になれた。



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