見出し画像

「季節感の変化と怪談の3区分」#シロクマ文芸部

 秋が好き、と答えると裏切り者呼ばわりされた。「季節の中でどれが一番好き?」という娘の質問に答えただけなのに。娘曰く「秋は稲アレルギーが出てくしゃみが止まらない季節だから嫌い」だということだ。私も春に花粉症になるので気持ちは分かる。私も娘もアレルギーの薬をもらうタイミングが遅れたり、服用するのを忘れたりすると大変な一日になる。

 秋は短くなったというか、夏を超えて一瞬肌寒くなったと思ったらあっという間に寒くなる、という季節感になってからしばらく経つ。「読書の秋」「スポーツの秋」だとか言っても、一瞬の秋の間にいろいろ詰め込めやしない。

「読書の秋」などといっても、年中本を読んでいるような人間には秋も夏もないし、本を読まない人が秋だからといって本に手を伸ばすだろうか、という長年の疑問がある。「読書の秋だから本を読みなさい」などと強制されたら逆効果ですらある。

 しかし季節感と読書は一概に無関係ともいえないか、とも思う。今年の夏は怪談関係の本を多く読んだ。これまであまり触れてこなかったジャンルである。中には思い出すたびに鳥肌の立つ話もあり、一時暑さを忘れることも出来た。「これは創作ではなくて本物の怪談である証拠なのかも」と思ったりもした。

 こんな話がある。ある作家の話で、彼女は怪談を書くことを止められているのだという。小さい頃から本好きだった彼女は、文字を覚えると同時に物語を紡ぎ始めた。同じ趣味を持つ祖母から「怖い話を書いてはいけないよ。ちーちゃん(作家の名前)が書くと、本当のことになっちゃうから」ときつく釘を刺されたのだそうだ。祖母が教えてくれた「怪談には三種類ある」という話を、「本当のことかは分かりませんが」と前置きして彼女は紹介していた。

1.創作された怪談
2.本当のことを記録した怪談
3.これから本当のことになる怪談

 1については書く必要もないだろう。2については、先にあげた「いつ思い出しても鳥肌の立つ話」がそうなのかもしれない。3は「創作であるのにも関わらず、物語の持つ力が強すぎて、その後本当のことになってしまう」怪談なのだそうだ。古今東西、人の想像力が怪異を引き寄せた例は珍しくないという。

 彼女は祖母の教えを一度だけ破ったことがある。家の裏にある山から化け物が降りてきて、家を覗く。始めは小さな子どもくらいの大きさだった化け物は、家を覆うほどの大きさになっていく。
「そこまでしか書いていなかったんですけどね」
 ある日彼女の家の、庭に面した窓ガラスが破られ、大量の獣の毛が割れたガラスに引っかかっていたという。同じ日に祖母が行方不明となっている。
「何の関係もないかもしれないですけれど。以来怪談は書かないようにしてきました」

 夏と冬が近づいて秋が消えてしまう、というのも、秋が苦手な誰かが書いたおとぎ話が現実化したものかもしれない。季節感が変化しようと、稲類は秋頃に花粉を飛ばすことに変わりはない。

 暑さ寒さも時が過ぎればその時の苦しさを忘れてしまう。初めて読んだ時に恐怖を覚えた怪談も、後から読み返せばどの話をあれほど怖がっていたのだろう、と忘れてしまっている。もしかしたら「本当の恐怖」から逃れるための、防衛本能が働いているのかもしれない。

 コロナ禍の始めの頃、世界が一変していく様子を「まるで出来の悪いSF映画の中にいるようだ」と感じたことがあった。今のこの状態も、誰かが創作している世界の中ではないと、証明することは不可能である。

「季節の中で何が一番好き?」
「秋が好きだったな」
「今はもうない季節は無しで!」
 そんな風に娘に言われる日も近いのかもしれない。「スポーツの冬」「読書の春」というように、言葉も移ろっていったり、両極端な「夏」「冬」しか存在しなくなるかもしれない。

 思い出した。一つだけ忘れられず、いつ思い出しても鳥肌が立って身体が震え出して涙が勝手にこぼれ出す怪談。でも書き起こそうとすると指が勝手に違う文章を書き始めるのでここで紹介することは出来ない。

「季節の中では何が好き?」と聞かれ、「秋が好き」と答える。窓ガラスが割れて、冷気の入り込んでくる部屋の中で。読む本がない。書くことがない。私も、いない。

(了)


シロクマ文芸部「秋が好き」への参加作です。
「あれ、あのめっちゃ怖かった怪談どれだっけ」てありますよね。ないですか。ないですね。え、ありますか。あなた誰ですか。


入院費用にあてさせていただきます。