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「百一理論(泥辺の中身)」

※メンバーシップ向けの記事になりますが、初回ですしほぼ読める設定にしています。

 こちらは大分以前に確立したもので、現代に合わせたアップデートが必要かもしれません。しかし根本的な部分はあまり変わってないと思われるので、ここに記します。

 最初に結論を書くと「マシな物は十に一つ、人に認められるものは百に一つ」という考えです。

 独身時代の2006~2009年あたり、私は「楢山孝介」名義で詩誌「詩と詩想」に詩を、文芸誌「きらら」に1000文字の小説を投稿していました。それぞれ掲載の常連となっていました。それらの作品の母体となっていたのは、一日一編書いていた詩でした。一ヵ月分の詩約三十編から、掌編小説の原案向けの詩を一編選んで小説化、優れている詩を三編選んでブラッシュアップし「詩と詩想」へ投稿、という流れでした。「きらら」にて「鳥男」でグランプリ(毎月の月間賞の作品から半年に一編最優秀作品が選ばれる。賞金十万円)に選ばれましたが、その一編の下敷きとして、約180編の詩があったわけです。

 中には詩として優れていてなおかつ小説の原案としても使える、というものもありました。当時の投稿結果が良かったのは、母体となる作品数に支えられていたからだといえます。十に一つはマシなもの(どこかに投稿するに値するもの)ができる。百に一つは人に認められる(ネットで大きく反応をもらう、何かの賞を受賞するなど)ものができる、というのが実感でした。

 毎日書くとなると、ワンパターン化を避けるために、様々な作風に手を染めます。一週間ごとにテーマを決めたりもします。「月曜日は短いもの、火曜日は幻想的、水曜日は物語的に……」といったやり方をしていた時期もありました。当時はゲームセンターの店番のアルバイト店員であったため、仕事中にメモ帳に詩を書いていました。

 就職し、結婚し、子どもが生まれ、創作から離れていた時期には、当然毎日作品を積み重ねることはできませんでした。たまに創作をして、いつでも昔の状態に戻れると思っていました。しかし習慣になるまでは至りませんでした。

 下の子の子育てが少し落ち着いてきた頃、「音楽小説集」という作品を書き始めました。週一ペースで、好きな曲から着想を得た小説もしくはエッセイのようなものを約四年半書き続けました。
※歌詞の引用で著作権者からの訴えがあり、「音楽小説集」は現在凍結中となっています。

 以前の「一日一編」ほどではないものの、定期的に作品を積み重ねる習慣が出来ました。その後病を経て、幸か不幸か「書き続けられる環境」を手にして以来、何かしら毎日書き続けています。現在の私は、昔のように詩作には熱心になれません。正確に言うと、書いているうちに「詩である必要がない」と思ってしまいます。ですので違う形で書いています。それは消えることのない耳鳴りから逃げるための日々の記録「耳鳴り潰し」であったり、架空の書籍について紹介する「架空書籍紹介シリーズ」であったり、詩は書けないが、入院中にも触れた短歌なら、ということで「生成画像つき短歌シリーズ」であったりします。それらは相互に干渉しあったり、一編の短編小説の原案になったりしています。

 ものになるのは十に一つといっても、十作品全て書き上げてから一作を選ぶのは大変なことですので、最近ではアイデアの時点で十の内九を削ぎ落とす方向になっています。「架空書籍シリーズ」「生成画像つき短歌」で一日一アイデアを積み上げているといえます。日常や視聴したアニメや読んだ本から得た何かしらを「耳鳴り潰し」で拾い上げているのも、積み上げの一環となっています。

 ただやみくもに作品を積み上げて、駄作の山から稀に出る秀作を拾い上げる、という形では大変な労力と時間を費やしてしまいます。そこで「一定の水準以上である」という判断基準も必要となります。これを次回「Bラインについて」で書こうと思います。

 体感として「十に一つのマシなもの」は自分で選別できます。しかし「百に一つの認められるもの」は自分では判断できません。「鳥男」にせよ「首がもげたキリン」にせよ、後に「特別な一編」となった作品には、書き出した当初から他と違う雰囲気があったのは確かです。しかし毎回狙ってその域に踏み入ることはできません。

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