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中村文則「逃亡者」

 2005年、「土の中の子供」で中村文則が芥川賞を受賞した際に、刊行されている彼の作品を全て読んだ。私の総評は「好きな部類の作家だけど、間違いなくここ数年の芥川賞受賞作家のうちで、もっとも売れない人になるだろう」だった。

 海外の大きな賞も受賞され、著作の翻訳や映画化も当たり前となった氏の現状を知れば、あの頃の私は目を潰して血の涙を流しながら切腹するだろう。今の私はあの頃の私ではないのでそんなことはしない。

 ドイツにある、主人公が身を潜めている家に、正体不明の不気味な男が訪ねてくる所から物語は始まる。その緊迫した状況から抜け出した主人公は、日本びいきで「フジヤマ」を連呼するドライバーの運転するタクシーに乗る。その後彼はこんなことを思う。

 日本なら、スシやピカチュウなどもあるのに、なぜフジヤマなのだろう。行ったことがあるのかもしれない。ピカチュウなら守ってもらえるかもしれないが、富士山は当然、僕を守ってはくれない。
 もしあの男が部屋に入ってきた時、僕の肩にピカチュウが乗っていたらどうだったろう。あの男は「さすが日本人。……まさか、肩にピカチュウが乗っているとはね」と言ったかもしれない。「本物じゃないな」とも言われたかもしれない。そうしたら僕はきっと「なら……、試そうか?」と同じように言った気がする。

 前の居住者が隠し持っていた銃を手にしての、主人公と謎の男とのやりとりが、直後にピカチュウで再現されるなんて誰が思うだろうか。この部分を読んでいる時に笑いすぎて、娘に不審がられた。
「パパどうしたの?」
「だって、ここ、すぐ前まですっごいシリアスだったのに」
 ピカチュウのことを出すと話が長くなりそうなので、急に笑ってしまうような文章になって、と言って誤魔化す。変な人を見る目で娘が私を見る。

 ちなみに「中村文則 ジャンピングオナニー」で検索すると、昔書いたブログが引っかかった。シリアスな中にも軽み、笑いを入れてくる作家だからこそ、ここまでになったのかなと思う。デビュー直後のあの暗すぎる作風のままなら、私も切腹していない。

 ピカチュウ同様の爆笑ポイントが、老いた教祖との「ドストウイスキー問答」のところにも現れるが、ネタバレは止めておく。この時もお腹が痛くなったが幸い娘は近くにいなかった。

 笑いどころやジャンピングオナニー(中村文則の短編に出てくる)の思い出ばかり書いていても仕方がない。シリアスな話なのだ。第二次大戦下のフィリピン戦線で鳴らされた、人の精神を狂わせるトランペットと、それに関わる人々の大きな物語。孤児、強い性的欲望、逃れられぬ恐怖、といった中村文則の作品に頻出するテーマも当然含まれる。爆笑・没入・感動・入り混じりながら、この本と向き合っていた数日は、ほとんどネットに触れなかった。その後もすぐに、まだ中村文則の作品で未読だった「カード師」に手を出した。もはやどのような体勢でも本を読めるように、読書に合わせた体作りを始めた。

 2010年、「掏摸」が第四回大江健三郎賞を受賞し、海外へと翻訳された。そのことがなければ、「掏摸」の海外の文学賞受賞、その後の他の作品の翻訳もなかったと思われる。中村文則の執筆状況も今とは違うものだっただろう。当時、「掏摸」を契機にまた読み始めた中村文則は、既に軽みを身に着けていた。

 先日放映された「ドラえもん」で、いつまでも売れない小説家の話をやっていた。売れないが、自分の書きたいものを書き続けて彼は満足していた。アニメのラストでは、大きな賞を受賞して、あばら家にマスコミが押しかけるが、現実ではもうそんなことは起こらないだろう。

 本から目を離せば周囲に現実がある。しかし本に目を戻せばたちまち物語に引きずり込まれる。玩具の銃を息子が私に向けてくる。私は対抗して肩に乗せたピカチュウを息子に差し向ける。ピカチュウの攻撃は息子に全て跳ね返されるが、玩具の銃が放った幻の銃弾は無慈悲に私の身体を貫く。弾倉に込められる最大限の弾数をとっくに超えた数を撃ち込まれる。

 読書が過ぎるとこういう事態になる。
 むしろ面白い小説など読んではいけないのではないか。
 切らなかった私の腹は随分とたるんでいる。



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