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恒川光太郎「私はフーイー 沖縄怪談短篇集」

 沖縄を舞台にした怪談集。中には人間の醜さが際立つ話もあり、辛くなる時もある。フィクションで包まれていれば絵空事と思えることでも、合間に読んだ別の本で、人間がいともたやすく犯罪に巻き込まれてしまう話を多数読んだので、物語の中のそれぞれの死が、あり得るべきものとして迫ってきてしまい、心が重くなる時もある。子どもを持たない身であったなら捉え方も違っただろう。

 意識的に違う作者の本を挟まないと、延々と恒川光太郎の作品を読み続けてしまいそうだ。たまたまKindleUnlimitedで読んだ「秋の牢獄」から始まった恒川光太郎読みも、いつの間にやら十冊目。約2.5日に一冊恒川光太郎の小説を読んできたことになる。

 特定の作者の固め読みをしてしまうと、どうしても一番良かった作品のみが記憶に残ってしまう。好きだから読んでいたはずが、読みすぎて食傷して、むしろその作者から離れてしまう、という現象が、これまでも度々あった。今のところその心配はない。読み進むにつれて、どうしてこの作者の作品を読み続けるのか、次々に手を伸ばしているのか、という理由が、頭に浮かび続ける。平明な文章でありながら、幻想的な風景も現実的なものとして書く。日常も怪異も地続きである。一つのジャンル、一つの作風にこだわり過ぎない。「金色機械」のように、シリアスの中にお茶目な部分も潜ませる。

 ホラー小説大賞出身の作家をそれほど知っているわけではないから、皆がこうなのかもしれないが、どこか浮世離れしたイメージがある。時流の本筋から離れたところでマイペースで執筆しながらも、自身を本流に仕上げていっている。というのも、東京都出身でありながら、沖縄に移住して執筆活動を続けている、というエピソードを知った後の思いつきに過ぎないのかもしれない。

 立て続けに読んだせいで、この話はあの作品の中の話だったか、この話は根底ではあの話と繋がっているのか、今見ているのは夢か最近読んだ小説の中の話か、などと虚実ないまぜになっていく。全然違う作家の似てもいない話が突如読書中に頭に割り込んでくることもあった。危険な兆候ではあるが、快楽でもある。

 本作の内容についてほとんど触れないままここまで来てしまった。沖縄を舞台にした怪談集ではありながら、他の地を舞台にした話とも全てが通じているようでもある。あるいは、大昔の迷信「集合的無意識」というアレに全て含まれているような、自分の人生も小説の中の物語も大差ないような、神話のような、誰もの意識下にある本能が紡いでいる物語。




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