千人伝(二百三十一人目〜二百三十五人目)
二百三十一人目 外界
外界は外界を認めなかった。病院で生まれ育ち、外に出たことのなかった外界は、窓から見える外の景色を現実だとは言いたくなかった。ある日、陽の光が眩しいからと、自分の視点より下の窓を紙で塞いだ。本当は外で動く健常な人間の姿を見たくなかったためだった。
外界が外の景色に触れなくなってから、病院に入院する患者は増えた。外では戦争だとか爆撃だとかテロだとかがこれまでにない頻度で起こっているらしかった。病院の中は安全だったので、外界は外に出られない病の持ち主ではあるが、怪我一つなく病院の中で過ごした。
新しい患者たちが外界のベッドにまで押し寄せてきた。先住者への敬意など払えないほど院内は圧迫されていた。ある者が外の景色を眺めたくて、外界が張り巡らせた防壁を剥ぎ取った。その瞬間に爆撃と大地震と建物の寿命の尽きるのが同時に起こり、病院は壊滅した。
二百三十二人目 ナースコール
ナースコールは音速で移動する看護師である。入院患者がベッドに備え付けられているナースコールボタンを押すと、病棟のどこからでも音速でナースコールは患者の元に駆けつけた。用事が「お茶のおかわり」であろうと「タオルが落ちた」であっても「遺言を聞いてくれ」であっても、全て音速で処理をした。
ナースコールの処理速度に追いつけない機械はよく壊れた。患者もしょっちゅう吹っ飛んだ。おかわりのお茶は患者の手元に届く頃には全てこぼれた。
ナースコールは失敗するたび音速で落ち込んだ。先輩に励まされると音速で復活した。一番古株の患者が千通目の遺書をナースコールに託した時、本当の別れが訪れた。主のいないベッドに取り残されたナースコールは、誰もいないのに鳴らされ続けた。しかし看護師のナースコールは二度と駆けつけてはこなかった。
二百三十三人目 探梅
探梅は長い入院生活から帰った後、すっかり体力が落ちてしまったので、妻と連れ立って散歩に出ることにした。梅の咲く季節だった。
しかし入院生活が長すぎたために、家の周辺の植物相もすっかり変わってしまっていた。巨大化したたんぽぽの縄張り争いをくぐり抜け、手足の生えた桜の花びらが整列して川へ向かうのを見送った。季節感もごちゃまぜになっていた。
「梅の花なら、山二つ超えたUFO墜落跡ヶ原を抜けて、宇宙律俳人を捕まえて2週間ほど旅に出れば、見つかる時もあるよ」と初めて会う孫娘が言った。探梅は梅の花を探すことを諦めて、妻と一緒に家に帰り、二人並んで眠り続けた。
※シロクマ文芸部「梅の花」参加「宇宙律俳人とは旅に出ないことにした」原案
二百三十四人目 人一人
ひとひとり、と読む。人一人は人の人生を読むのを好んだ。大成功した人でなくても、有名人でなくても、人にはそれぞれ一人一人の人生があり、記されるべきこともいくらかはあった。商業ベースに乗せるには、そこそこの量に嵩を増さなければいけなかったが、そうすることによって人生は薄まってしまった。商業ベースを気にしなければ、十ページ二十ページの間で、一人の凝縮した人生はそれなりの読み物になるのだった。
人一人はそうして人々の人生を何十何百と読んでいった。そういった人々の本は一人一冊しか書けなかったので、著者は一冊の本を著して消えてしまうことがほとんどだった。人一人のような読者は数多くはないので、著者に入る収入はごく僅かなものでしかなかった。
人一人は自分自身についてはほとんど書くことを持たなかったので、これまで読んだ本の紹介を始めた。もちろん大して読まれることはなかった。それでも亡くなる時まで彼は読み、紹介し、積み重ねた。
二百三十五人目 宇宙の支配者
宇宙の支配者は「この星に住むヒトとかいう名の猿が滅びるまで、私は死なん」と病室のベッドでうそぶいていた。病室の窓から見える木々の上に猿を見つけるたびにナースコールを押した。その木には猿だけでなく、地底人、半獣人、世界的なヒーローなどもよく登って、宇宙の支配者を外からからかうのだった。
宇宙の支配者の主治医はベッドに備え付けられたワームホール起動スイッチを押して、異空間で宇宙の支配者を診察した。「だいぶよくなってますよ」「何十年嘘をつき続けるつもりだ」いつもの会話だった。
ヒトの種族としての寿命が近づいた頃、宇宙の支配者の命も残り僅かとなった。あのような猿どもと運命をともにするとは、と宇宙の支配者は嘆いた。主治医は「そりゃあんたもヒトだから」と突っ込んだ。まあそんな感じで宇宙の支配者も悪者も正義のヒーローも、大きな樹の上から落っこちるようなノリで滅んだ。
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