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「千人伝(二百八十六人目~二百九十人目)」

※今回は「架空書籍シリーズ」から題材を採りました。

二百八十六人目 人形

人形は人形師を鍛えるために人形の振りをしている人間であったのだが、人形になり切っている時間が長すぎたために人形と変わりないものになってしまった。人形師たちは人形が人間から人形へと変わってしまっていることに気付かず、師と仰ぎ続けた。人形は人形師たちに人形を操ること以外を考えさせないようにした。人形は人形師たちを操って人形を操らせ、操った人形で人形師たちに食事を食べさせた。

人形が人間をやめていたことに気付くことなく、人形師たちはそれぞれ独り立ちして立派になっていった。人形だけは人形小屋でいつまでも人形師たちを鍛え続けていた。


二百八十七人目 スロー

スローは身体を壊してゆっくりとしか動けなくなった男だった。仕事に就けなくなったため、妻を働きに出して、家で家事と子どもたちの相手をした。家事をゆっくりとしかこなせなかったため、洗濯物も洗い物も料理も次第に数日遅れとなっていった。子どもたちも身体を使う遊びには誘わなくなっていった。

スローは信号をうまく渡れなくなったので、どのような道路にも歩道橋を架けるようになった。歩道橋建築セットを常に持ち歩くようになり、何日も何か月も歩道橋架設に費やすようになったため、次第に家へも帰らなくなった。ようやく歩道橋が完成した頃には、目的地であったスーパーは潰れてしまっていた。

スローはそれほど長くは生きなかったが、本人と他人との時間の感覚は大きくずれてしまっていたため、本人がどう思っていたかは不明である。スローの残したいくつかの歩道橋は現在でも使われており、地域の住人にはスローに感謝している者もいる。


二百八十八人目 遺作

遺作はある時から「自分の書くことは全て遺言である」と気付いた作家であった。これが最後の作品、これが最後の一文、と思いながら書くと、自然と迫力のあるものが書けることに気付いたのだ。遺作は遺作を発表し続けた。遺言を更新し続けた。遺作は年に三冊ペースで執筆を続けて、三百三十三年と少し生きた。遺作の遺作集は千冊にのぼった。


二百八十九人目 桃拾い

桃拾いは川で洗濯をしている最中に、川上から流れたきた桃を拾った。いわゆる「桃太郎」で描かれたおばあさんであった。桃太郎の話が終わった後も、桃拾いは川で洗濯を続けた。川上からはいくらでも桃が流れてきた。桃を拾うたびに桃太郎は増えていくのだった。桃拾いの家では育てきれないため、多数の桃太郎を里子に出した。桃太郎たちは皆里子先で元気に育って立派になり、桃拾いの家に仕送りをした。桃拾いがいつまでも洗濯をする必要はなかった。人を雇うことも、洗濯機を購入することもできた。

しかし桃拾いは桃を拾い続けたし、子どもを送り出し続けた。桃拾いの本心は、ただ新鮮な桃を食べたいだけなのを、誰も知らなかった。


二百九十人目 救い主探し

救い主探しは絶望していた。病と貧困と激痛に苦しみながら日々を過ごすあまり、そんな境遇を救ってくれる救い主を探し続けていた。救い主探しの元に救い主は現れなかったかに見えたが、本当はそこかしこに救い主はいた。救い主探しの視野が狭すぎたために、目に入ってこないだけだった。救い主探しが助けを求めるたびに、救い主探しは目を閉じたし耳を塞いだし背中を向けていた。本当は救われたくないのだった。救われてしまうことで絶望できなくなってしまうことを恐れていた。いつまでもつらい境遇でいることに甘えていたかった。自分の不幸を自分由来だと認めたくないだけだった。

救い主探しはそうして数多の救い主の手をすり抜けて、さらに落ちるところまで落ちていった。救い主探しは落ち込んだ先に暗い影を見た。白い影も見た。それは光と呼ばれるものでもあったのだが、救い主探しには影としか捉えることができなかったため、救い主探しは影に沈み続けて帰ってこなかった。


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