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耳鳴り潰し15

 祝日でもやっているかかりつけの医院へ。似た症状の息子はインフル・コロナとも陰性だったことを伝える。溶連菌の検査は陰性。先週もらったのと違う薬をもらう。

 以前も似たパターンで長引いたことがあったが、あの時は咳だった。溶連菌だった。今回は喉の痛み。

 一日半隔離で横になって安静に過ごす。咳による頭の痛みを抑えるため、入院時と似た安静の仕方。

 こんな時ぐらいしか映画を観ないので松田優作の遊戯シリーズ二作目「殺人遊戯」を観る。女性陣の台詞が時代がかっていることが気になる。松田優作が長々と傷の手当てやトレーニングをしているシーンは気にならないのに、女優の演技に陶酔感が過剰に見える。というか女性の描き方が古い感じがする。スナックの姉御的な人が、ビール瓶で頭を殴られても平然としていたところは良かった。

 西村賢太西村賢太藤澤清造西村賢太西村賢太と来ていたので、自然科学系の本を、と思い前野ウルド浩太郎「バッタを倒しにアフリカへ」を読み進める。ちょっとした風邪にやられたダメージで持病を思い出してしまう今の自分の身体では、著者のような動き方はできないのだなと痛感させられる。

 遠い昔も似たような感慨を抱いたことがある。慣れないものを食べてお腹を壊した時に「こんなことではアフリカやアマゾンに探検になんて行けないな」と。行く気もないのに思ったものだ。

 できることが限られてしまっている、活動できる時間が限られている、といったことは病を経て実感しやすくなった。しかし実際には生まれた国や環境や身体的能力やらで、誰もが限られた中で活動している。肉体的なピークを過ぎた年齢から、第一線級のプロアスリートになるのは無理なように、気付かないうちにいろんな可能性は既に潰えていたのだ。病はそれを少し増やしてしまったに過ぎない。

「〇〇ってどういう意味?」
 何か分からない言葉を聞きに息子が私が横になっている部屋を訪れる。シャワーを浴びている最中にもノックしてやってきた。知識欲が旺盛になってきた息子が、今日からは無事学校に通えるように願う。

 無数のバッタを追いかける本を読みながら、部屋に入り込んだ一匹の蚊も倒せずにいる。

新書を三冊作る。


入院費用にあてさせていただきます。