0112 高輪築堤見学会
高輪築堤の見学会に当選しました。平日の方が倍率低いだろうと思って、連休明けの平日に申し込みました。「10~12日に行われる見学会には、定員計300人に対し、はがきで1978枚の応募があったという。」というのが朝日新聞記事にありました。
高輪ゲートウェイ駅から、集合場所まで、看板を持って立ってる方が何人もいらして、迷いませんでした。寒い中ありがとうございます。
10時開始の回でしたが、9時50分くらいには全員揃ったそうで、説明が始まりました。ヘルメットかぶってテンション上がります。 A3両面の解説資料をもらいました。これからきっと報告書などになる途中の段階のものですよね。 SNSなどに転載しないようにとのことでした。
高輪から田町方面をみた様子。傾斜の緩やかな石垣が山側、石垣の下端は海面から1mくらい下で、海に浸かっていたところだそうです。土台となる胴木の先には太い松杭がたくさん打ち込んであります。明治3年ころの土木工事の様子がよくわかります。
港区ではあたりは、ペリー来航後の台場の建設時の土木工事の遺構もあるとのことで、調査の実績がたくさんあるんですね。
つぎは、同じあたりから、品川方面を見た様子です。石垣は、最大で15段積まれているそう。 三浦のほうで取れる石材だそうです。 江戸城の石垣に使われていたのは、伊豆石が有名ですけど、三浦半島あたりも石材の産地だったのかな。
写真の黒っぽく見えるあたりは当時は海だったと思うと、このあたりは、かなり埋め立てたんだなあとしみじみ。
これは、先ほどの写真よりも品川寄りの場所です。 この扇形に見える石垣の写真が、東京新聞の一面に出たとき、衝撃的でした。去年の11月22日の朝刊です。このために空撮したんですね。
当時の錦絵に描かれていたものが、写真で目の前に現れたんですよ。。 本当に驚きました。
この記事が出てから、一般向けの見学会までのスピードはとても早かったように思います。 現状では、近代の遺構は、もし壊したとしても、罰則規定もないのです。
築堤は、明治2年当初は単線、幅は約6m、明治9年に新橋〜品川を複線化して約16m、その後明治32年に新橋〜品川を3線化して約21mの幅で築かれたそうです。橋梁になっていたこのあたりの石垣を見ると、増築されたようすがわかります。 石垣の仕上げの表面が少し異なるんですね。なるほど。
港区の議員さんのこの動画はわかりやすいです!
https://www.youtube.com/watch?v=UtuXfifDGSg
海の埋め立てにあたっては、別のところからかなりの土砂を運んできたせいで、いろんなものが混じっていたそうです。 縄文土器や泥メンコまで。
あとは、鉄道旅にはつきものの汽車土瓶も!!
人が生きてた証ですよね。楽しい!
あとは、土留の松杭なども見せてくれました。
はー、本当に面白いものを見せていただきました。本物って凄い! JR東日本のみなさま、港区教育委員会のみなさま、寒い中このような機会を設けてくださって本当にありがとうございました。
ただ、都心の一等地、開発すれば、巨大な利益を生み出す場所ですよね。どこまで現地保存の判断をしてもらえるのか、一市民として引き続き見守りたいと思います。
帰り道、高輪ゲートウェイ駅から偶然ドクターイエローを見ることができました。