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自由大工団

ぼくは大工の孫で、伯父も建築家だった。祖父は遠のむかしに死んで会ったことはない(奈良で鹿と遊ぶ良い写真は見たことがある)。宮大工だったらしい。数年後「退職」してから、ぼくも「大工」になる計画が浮かんできた。今までの過去の経験もどこかで融合すると思う。

今までの仕事は基礎研究で、人類の遠大な計画に資することはあっても、直ぐにだれかの「役に立つ」というものではなかった。自分でも満足できる良い論文はたくさん書いたが、研究体制(高額な研究機器を含む)に依存する現代科学の性格として、自分自身の個人的な社会とのつながりはゼロに近かった。

まず茨城県の職業訓練校に通って技術を身につけたい。

自他の生活を直接助けることのできる技術を身につけたい。

それが小さなシュタイナー建築の試みにまで発展するかどうかはまだわからないが。第一次ゲーテアヌムが木造建築だったことなどもどこか示唆的な気がする。。。

こんなことを考えることになったのも、背中を押されて詩集を出す決心がついたせいでもある。ここ数年の経緯があって何かと受け身の心理に陥っていた状態からの転機が訪れた。

來嶋路子さんの連載記事を読んでいて(長大な連載でまだ途中までしか読んでいませんが)今の(福島原発事故後の)日本社会に於ける”別の生き方”を刺激されたことも大きい。



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