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3.11についてただ書く

いやぁ〜、最近更新していなかったですね
週一というノルマすらクリア出来ず...
それに関して少し触れておくと、最近なんか気持ち的にラクなんですよね。
なんか辛い期間があって、落ちるところまで落ちたので緩やかな坂を少しずつ登っている感覚です。
まぁこれを継続できればいいんですけど...

今日は日々の自分について書きたいわけではないので、また気が向いたら文章を書こうかなっと思います。

今回は「3.11」つまり東日本大震災についてです。
あれから、今年で10年を迎えたわけですが神奈川で暮らす僕がこの震災とどう向き合っているのかを書きたいと思います。


僕は当時中学生で、学校のグラウンドでサッカーの練習をしていました。
すると、チームメイトが「揺れてる!!」と地震に気づき、その時点で練習が中断されました。
その後、交通機関が機能してないということで学校で待機させられてました。
なんとか、最寄り駅へのバスが動いたということであり、その日中に帰ることが出来ました。もちろん、家が遠い人達は帰宅出来ない為、学校で一晩を過ごしたそうです。
家に帰ると、親戚が集まっていて、「なんか大事だな〜」って思っていてテレビを見てみると、あの巨大な津波の被害が目に飛び込んできました。
正直、言葉を失っていました。
自分がサッカーをして、学校で待機させられ、必死に家に帰ってきた自分。
そんな一瞬でも大変だったと思った自分が非常に恥ずかしく、申し訳ない気持ちになりました。

それから高校生、大学生になっていき、毎年の3.11になる度に心が痛む...
そんなま

って話の途中ですがちょっと何書いてるかわからなくなってきました。こっから先どうしたらいいのかわからなくなってきて...
文章書いてるとなんか自分を偽ってるような気がしているんですよね...
こういう時だからこそちゃんと書かないといけないんだと思うんですけど、まぁいいや

こっからは自分の思いを書き殴りました。

僕としては被災された県に縁もゆかりもありません。
23年間横浜で生まれ育った人間です。
家があって、家族がいて、学校に行けて、サッカーができて、旅行ができて、彼女がいたこともあって、仕事もさせてもらって...
「好きなことを好きなようにやらせてもらってる」
本来ならこんな幸せなことはありません。
そんな自分だからこそ「災害」や「復興」というキーワードが目に留まったんだと思っています。

被害を受けた方々は災害によって平凡な日々を奪われてしまった。
僕は今まで、のほほんと災害もなく、なんなら平和に暮らしていた。
そんな自分が今は恥ずかしくてしょうがないです。
家や家族を失った人たちのことを考えると悲しくなる。
これは当たり前です。
昔も悲しいと思っていました。
ですが、本質までは理解していません。
おそらく、なぜ悲しいのかを理解していません。
今でも正解を叩き出せる自信はないですが、昔の自分が間違っていることはわかっています。
これは学生だったんだからしょうがないでは済まされない問題です。
なぜなら、被災された方々は学生の頃からこの問題について考え続けており、正解を知っている人すらいるからです。
ただ僕は用意されたレールの上を脱線することなく、なんなら丁寧に走っていたのだと思います。

「あーー、恥ずかしい。」
書きながらそう思っています。
何が恥ずかしいって、「自分は他とは違うことに挑戦する(周りの奴らと比べて)」とほざきながら、堂々と他と変わらない一般的な道を進んでいたことです。

そんな勘違い王子様に一つだけ褒めるとすれば、大学時代に2回福島に訪れたことがあることです。
すでに、震災から7年が経った頃でした。
街中にフレコンバックが置かれていたり、さら地が広がっていたり、建物に津波による亀裂が残っていたりと痛々しい傷も十分残っていました。
ですが、復興によって新しく建った建物や復活した産業、新しい経済のカタチを目にすることが出来ました。
そんな新しい可能性に魅力を感じ、それを機に福島での就業を本気で考えていた頃もあります。(まぁこれも甘えてしまった結果、上手くいかず...)

僕にとって震災は自分を変えてくれたきっかけです。
(これは決していい意味ではありません。大災害で多くの人々を悲しせたんですから。それと自分の生き方を否定してきたものと言っても過言ではありませんので。)
多くの人がもがき、苦しみ、今を生きるのが精一杯な人達の存在が僕の人生観を大きく変えました。
そんな中、自分を犠牲にして様々な活動に尽力されている方々をとてつもなく尊敬しています。
震災直後からボランティア活動に参加した方々、被災地でビジネスを始めた方々、被災地に留まりアクションを起こした方々、自分の影響力を使い被災地への関心を高めた方々...
その点、僕は今、何も成し遂げていません。そして、何も出来ません。
なぜこの文章を書いているか?
それは今の自分が目指す場所をはっきりさせたいからです。
今までなぁなぁにしてきたことを後悔しています。

今日、様々な報道やたくさんの人のコメントを見て、やはり福島で働きたいという思いが溢れてきました。
それは希望を与えてくれた人たちへの恩返しがしたい。
ただその思いです。
そして、

『福島で働く、そして貢献する』

ざっくりではありますが、これが今のやりたいことです。
どのように働くか、貢献できるのかそんなのは分かりません。
でもこれも近いうちに正解を出します。
もう濁しません。
これからの過ごし方はその準備期間です。
資格を取ったり、震災について勉強したり、実際に足を運んだりとやるべきことはたくさんあります。


最近、僕は友達にこう言われました。
「なんでも出来る環境は整って、あとは自分が決断するだけなのになんで挑戦しないの?」
「そんな整った環境があって羨ましい」
「俺はやりたいことが溢れてる」
これ言われてめちゃめちゃ悔しかったんです。
まず顔を殴られて、次に腹殴られて、もう来ないと思ったらもう一回顔を殴られた感覚ですね。

決戦は何年後になるかは自分次第。
ただ、この目標に向かってこんなところでは留まっておけない。
日々、生きるのが辛いだって?
知るかそんなもん。
歯を食いしばってなんとかやれや。
出来ないんだったらそこまでじゃねーか。
こんなことを思った2021年3.11でした。


[miwa 希望の環(WA)]

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