武術家と読むガラス玉演戯 (前編)

『ガラス玉演戯』はドイツの作家、ヘッセの書いた最後の長編小説です。この作品がノーベル文学賞を受賞した決め手になったとも言われています。今日ご紹介した料理が6月号に載ってるやつです。違います。それは『ESSE』です。

で、この本がとにかく面白い! こいつはノーベル賞ものだぜ! とか意味のわからないことを口走りそうになるくらい面白い!
なので、その内容を私なりに解説してみたいと思います。ここまで読んで興味ないや、と思ったら、プラウザを閉じるなり絶叫しながらPCを窓から放り捨てるなりしてください。あなたは自由を手にしている。

いいかな? じゃあ始めます。
さて、このお話は未来のお話です。
しかし、この本が書かれたのは60年前。つまり、この頃から見ての未来は、我々からすると現代にあたります。小説の序盤は、この世界観の説明に割り当てられていますが、かったるいのでかいつまんで説明します。

まず、この時代にいたるまでに世界は二つの時代を経験します。

ひとつは、文化が物理的、政治的に破壊された野蛮な時代、「戦争の世紀」です。「2の2倍が何であるかを決定するのは、大学の教員ではなく、将軍である」という言葉が、この時代を象徴します。

あらゆる学問や精神は、国家や権力によって統制、弾圧され、良心なる知識人はひっそりと息をひそめて隠れ、表立って残った者は政府のプロパガンダなどのために思ってもいない事を言わされる。
まあ、現代でいう中国、北朝鮮的な状況です。ちょっと前のロシア、東欧なんかもそうでしたね。

もうひとつは「文芸娯楽欄時代」です。これは、上からの弾圧ではなく、市民自らが文化を殺し、腐らせてしまった時代です。
この時代、消費されるためだけの文化が濫造され、新聞、雑誌などあらゆるメディアで、無価値な知識が雑然と垂れ流されました。人々は狂気じみた熱心さでゲームやクロスワードパズルをとき、なんら感動も啓発もなく講演や音楽を聞き続けました。

 ――「聴衆は終始まったく受動的であった。内容に関する聞き手の何らかの関係、何らかの素養、何らかの準備や摂取能力が暗黙のうちに前提されながら、聞き手はそんなものをたいていの場合持っていなかった。(中略)その中で、多数の知的な流行語が、サイコロ筒にでも入れられたように、ぶちまけられた。聴衆はめいめいその中の一つでもだいたい見当がつくと、うれしがった。詩人に関する講演も聞いたが、その作品を一度だって読んだこともなければ、読む気もなかった。そのうえ、幻燈器械で肖像を映してもらった。」

 ――「ひところは、時事問題について有名人に質問することが好まれた。(中略)知名な化学者やピアノの名手に、政治について発言させ、人気俳優や舞踊家や体操家や飛行家や、あるいは詩人にも、独身生活の功罪、、金融危機の推定原因等について発言させた。そのねらいはただ、知られた名を最も現実的な話題と結びつけるところにあった。」

はい! どう見ても現代の日本です! ありがとうございます!
恐ろしいくらい的確にワイドショー、バラエティー的な現代を予言していますね。二つの時代とは共産主義国家と資本主義国家、あるいは戦争と平和のディストピア的側面ともいえます。

で、こうした精神の死んだ時代が続いたのですが、その中でも腐ることなく、熱い魂をもった人々もいまして、もっと本物の精神と文化が必要だ、と希求する運動が起こりました。その結果できたのがカスターリエンといわれる一種の宗団、聖職制度でした。

カスターリエンは国立大学とそれに付属する研究機関的な性質を帯びています。 幼年学校時代に教師から素養と適性があると思われたわずかな生徒が推薦され、このカスターリエンの英才学校へ編入を許されます。生徒はそれ以降、肉親とかかわりを絶ち、ひたすら学問をして、カスターリエン人となります。宗団の規律に従い義務をはたし、瞑想を日課とし、財産を持たず、結婚もしません。
こう書くと厳しくて良いことがなさそうですが、宗団に留まるかは本人の自由です。やめて普通人に戻ることは勝手です。

卒業生の大半は、のちに公立学校の各科目の教師として、各地の学校に散っていきますが、すぐれた研究者は残ります。カスターリエンでは早い段階から、自分の好きな専攻科目だけを研究する権利が与えられます。
研究者として残った者は、『十二世紀から十六世紀に至るラテン語の発音の歴史』とか、誰が何のために必要なのか分らない学問のための学問をやりつづけてもいいのです。研究者は質素ながらも生活を保障されるので、パンのための労働や人間関係に苦しまず、自由に活動できます。私のように労働に不向きな人間には、夢のような制度ともいえます。

そこで、さらに研究者の中から組織の運営や、全ての科目の代表者である「名人」が選出されます。音楽名人、数学名人など。
これらの名人が、教育の最高機関の長として方針を打ち出すので、カスターリエンは文部省的な性質もあります。なかなか良くできた制度です。少なくとも、たまたま選挙で当選し、特に教育について知識もない人が文部大臣になって、いきなり円周率をおよそ3とかにしたり、やっぱり戻したりとか、そういう行き当たりばったりな教育より良いと思います。
教師による性犯罪や、いじめの放置など、ろくでもない教師の話が後を絶ちませんが、「教師になりたい人を教師にする」のではなく、「教師になるべき人が教師になる」というのは、必要なことだと思います。本来、教員免許とはそういうものだった気がしますが。

さて、このお話の主人公になるのが、ガラス玉演戯と呼ばれる不思議な科目の伝説的名人、ヨーゼフ・クネヒトです。

この小説は彼の死後に時を経てから、カスターリエンの研究者が残された手記や当時を知る人々の証言から彼の生涯をまとめた記録という体裁で書かれています。『知ってるつもり?!』の再現ドラマみたいな感じです。
しかし、これはあまり成功してないかもしれません。というのも、おまえ見てきたのかよ! というくらい、生々しいセリフのやり取りや、本人以外分らないような感情の動きまで書かれてしまっているからです。その辺はあまり気にせずに読みましょう。

ガラス玉演戯の起源は、色とりどりのガラス玉でできたソロバンのようなものが原型だった、といいます。はじめ音楽家がそれを五線譜にみたて、ガラス玉の色や形に意味をもたせ、それを動かしたり並べ替えることで音楽を組み立てて楽しむものでした。ソロバンと音楽の融合ということはトニー谷的なものかもしれません。

のちにそれを数学者や言語学者が研究したことにより、ガラス玉には色や形に応じて独自の記号的な意味や法則が加えられました。
これを並べ替えたり操作することによって音楽を哲学的に解釈したり、数式を音楽的にあらわしたり、あらゆるものを象徴化し、また解体し、演奏できるようになっていきます。
ガラス玉演戯は科学、芸術、宗教など、あらゆる文化を統合するものになりました。さらに、それを行うことによる精神集中や、独自の感覚の昇華は、人間の精神を高次に高めるものと捉えられました。

この発展は「道」という概念をもつ日本人には分かりやすいものでしょう。
生け花、書道などが、単に花を綺麗に飾るとか、字をうまく書こうとする行為ではないのと同じでしょう。テクニックは極まればスピリッツに至るものです。
我田に水を引かせてもらうなら武術。私は、この「あらゆる文化を含みつつそれらを象徴するもの」であるガラス玉演戯を、武術にきわめて近い位置のものだ、と考えています。
武術もまた、身体運動、哲学、心理学、遊戯、自己表現、精神修養、芸術など、あらゆる文化にあてはまりつつ、それらを統合し、象徴しうるものです。
そして、ガラス玉演戯とそれを行う人々の通った道は、武術界のこれからを暗示するものでもあるように感じているのです。

話を戻します。

物語は、主人公クネヒトがカスターリエンへの推薦を受けることから始まります。
クネヒト少年は音楽に高い天分をもち、早くから英才学校への編入を予定されていましたが、本人はそんなことは知りませんでした。ただ、自分の学校にカスターリエンの音楽名人が視察に来ると知らされ、緊張していました。
そしてやってきた音楽名人は、クネヒトを別室に呼びました。まさか自分が呼ばれると思っていなかったクネヒトは驚きます。

名人はクネヒトに一緒に簡単な歌曲を演奏することを命じました。
同じメロディを繰り返すたび、名人は対声や装飾音を増やしていきます。二人は音楽のセッションを通じて打ちとけます。そして、名人はそのメロディを主題にしてフーガを演奏してくれました。 

 ――「彼はきょう初めて音楽を聞くような思いがした。目の前でできていく曲の背後に、法則と自由、奉仕と支配とを楽しく調和させる精神を、彼はほのかに感じ、この精神に、この名人に心を打ち込んだ。そして一心をささげようと誓った。この短いあいだに彼は、自分と自分の一生と世界全体が音楽に導かれ、整えられ、説きあかされているのを見た。」

 ――「演奏が終わったとき、尊敬する魔法使いで王さまでもある老人がなお鍵盤の上に軽く前かがみになって、まぶたは半ば閉じているけど、顔は内部からかすかに輝かせているのを、少年は見た。そして、この瞬間の浄福に歓喜の声をあげるべきか、それが過ぎ去ってしまったことに涙を流すべきか知らなかった。そのとき、老人はピアノのいすからゆっくり立ちあがり、朗らかな青い目で、貫くように、同時になんともやさしく少年を見つめて言った。「音楽をしているときほど、ふたりの人間がたやすく友だちになれることはないよ。これは美しいことだ。われわれは、君とわしはいつまでも友達でいられるだろうね。君もたぶんフーガを作ることをおぼえるだろう、ヨーゼフ。」こう言って、老人は少年と握手して出かけた。戸口で、彼はもう一度ふりかえり、丁寧に頭をちょっとさげ、ひと目見て、別れのあいさつをした。」

師とは何か、人に技芸を伝承するとはどういうことかと考えた時、このやりとりはとても考えさせられます。そうした脳天から爪先まで痺れるような圧倒的なもの、秘儀を誰かから受け取る機会のあった人なら「これはあの時の自分だ。これは私の物語ではないか!」と感じるでしょう。
慣習としての敬語や礼儀ではなく心のそこから敬意が湧き上がってくる人が師です。そして技巧に優れた者ではなくその道に畏れと誠実さを持つ人が弟子です。

さて、音楽名人により運命的な導きを受けたクネヒトは英才学校に進みます。ここから、だんだんクネヒトが主人公らしくなってきます。

物語の主人公になる資質とはなんでしょう? いろいろあるとは思いますが、私はその世界を支配する価値観の外からの視点を持っているということが挙げられると思います。
たとえば、鬼が娘をさらい、村人を搾取する世界。その中では、誰も鬼と戦うという発想はありません。でも、桃の中に入って川から流れてきた、その世界の価値観に染まっていない桃太郎だけが、その状況をおかしいと思い、変革しようと思うのです。

昔からこうした異世界からきた異人が、今ある世界の常識を壊すということは繰り返し物語になってきました。エンデの『はてしなき物語』や、『ドラえもん』なんかもそうかもしれません。一時期は、現代の高校生がファンタジー的な世界へ飛ばされて戦うような漫画などが氾濫していました。これらもこうした、外部から来た人間による価値観の変革をテーマにしていると思われます。

クネヒトが傑出しているのは、その変革を、外部の世界からではなく、内部から行おうとしたこと。言うなれば、桃太郎の世界で突然、おじいさんが鎌一丁を携えて柴刈りではなく鬼退治に行ってしまうようなものでしょう。
井戸の中の蛙が一度も井戸の外を見ずに、あれ? ひょっとして俺って井戸の中の蛙なんじゃないのか? と気付いたということです。

これがいかに難しいかは、現実社会を見てもわかることです。過労死するまで働くくらいなら仕事をやめればいい。いじめを苦にして自殺するくらいなら学校を辞めればいい。どれも、外側から見れば、延々、鬼に搾取されている村人と同じです。しかし、職場や学校という世界しか見えていない状態では、その世界の外に出たり、価値観を壊す発想はできません。ちゃんと教育を受け、知能が人並み以上にある人間でも、こうした自我がないと、閉じた世界のローカルルールしか見えず、オウム真理教に入ってサリンをまいたりしてしまいます。 

武術家も、強さや流派の正統性などの価値観に縛られたりしています。しかし、一歩引いて外から見れば、それもまた、本質的な価値ではありません。小学校のころ、ドッヂボールがうまかったとか、牛乳の早飲みが出来たとかがもてはやされ、今、なんら価値がないステータスなのと同様です。

クネヒトは早くから「世間」から離れカスターリエンに進みますが、すでに少年時代から、このカスターリエンでさえ、必ずしも自分のいるべき場所ではないかもしれないことを予感していました。それは、自主退学していった生徒たちへの一種の尊敬などの形で出てきます。そして、それを決定的にするのが、英才学校の高等部であるワルトツェルに進学した時に出会ったライバル的存在の少年、プリニオ・デシニョリとの議論でした。

プリニオは、カスターリエンの設立に貢献した古い名家、有力者の子で、こうした家柄の人間は、例外的に聴講生としてカスターリエンで教育を受け、休暇ごとに実家に帰ることができます。そして将来的には宗団には帰属せず、政治の世界などに身を置き、外からカスターリエンの存続を支持することが多いとされています。
プリニオは、演説や人を集める能力にたけ、「世間」の側に立って、遠慮なくカスターリエン批判をしました。彼も言うなれば、外の世界からやってきた価値観の破壊者です。その主張は、クネヒトを不安にし、懐疑の心を抱かせるものでした。クネヒトは手紙で音楽名人に助言を願います。

 ――『しかしプリニオのはばかるところなき演説が改宗や感化を全然めざしていないとしても、私はそれに直面して困惑しております。(中略) プリニオが、私たちの先生や名人を僧侶階級と呼び、私たち生徒を去勢された家畜群だと呼ぶのは、もちろん粗野な誇張の言ではありますが、やはりそれにはたぶん何か真実なものが含まれておりましょう。でなければ、それを聞いて、私がそれほど不安になるわけがありません。(中略) われわれカスターリエン人は、人工的に飼育されている歌う小鳥の生活を送り、みずからパンをかせごうとせず、生活の苦しみや戦いを知らず、われわれのぜいたくな生存の基礎を与えるために貧乏して働いている人類の一部について何も知らず、また知ろうともしない、などと申すときは、まったくひどいのです。』

この批判の後半の段は、武術家をカスターリエン人に重ねて見ている私にとっても自分のことを言われているようで、居心地が悪いものではあります。しかし世間はこうした存在に対し非生産性、あるいは反社会性を求めているからこそ需要と供給があるのであって、坊さんが妙に金儲けに精を出していたりすると俗でがっかりするように、浮世離れしている人には相応の役割があるはずです。

さて、この陳情に対し、音楽名人はクネヒトを訪ね、面談し、さらにはワルトツェルの校長とも方針を協議しました。その結果、クネヒトに与えられた答えは、カスターリエンの代表として、プリニオの批判からカスターリエンを弁護し、その論議を最高の水準まで高めることでした。

プリニオは自然と生活の側から、クネヒトは秩序と精神の側から、たがいに主張し、その議論は高まり、長く続き、ワルトツェルの名物となりました。クネヒトが公認に近い形でカスターリエンを代表し、より高度な議論をしようとしたことで、プリニオもまた成長しました。
彼は、自分のカスターリエン批判が、周囲の大人たちの口真似であったことに気づき、また、カスターリエン人が世間を知らないように、自分もまたカスターリエンを正しく評価していないことを知ります。

卒業間近になり、議論の後で、プリニオはクネヒトに、こんな気持ちを打ち明けます。

 ――『(略) ぼくたちの戦いで、君は、精神の高い訓練の立場に立ち、ぼくは自然な生活の側に立っている。(略) よろしい。めいめい、優位にあると信じるものを擁護する。君は精神を、ぼくは自然を。だが悪くとらないでくれたまえ。君は実際、単純に、ぼくを、君たちのカスターリエン制度の敵のように思っている。君たちの研究や修行や遊戯を、いろいろな理由からしばしのあいだいっしょにやってはいるが、根本的にはそんなものをつまらぬこととしか考えない男だと、ぼくのことを思っている。ぼくにはそんな気のすることがよくある。ああ、君、君がほんとにそう信じたとしたら、たいへんなまちがいだよ! ぼくは君たちの聖職制度に対し理屈ぬきの愛をいだいており、幸福そのもののように、たびたびそれに魅惑されることを、君に告白したい。』

プリニオは、さらには実家に戻った時、父ととことん議論し、希望するなら宗団に留まり、そのままカスターリエン人になる道を選ぶ権利さえ得てきたのでした。しかし、彼はその権利を使うことは自分の生き方では逃避にあたると言い、世俗の側で生きていくことを宣言します。

 ――『ぼくは立ち返って、世俗の人間になるだろう。だが、世俗の人間でも、君たちのカスターリエンに常に感謝し、君たちの修行の多くを続け、毎年ガラス玉大演戯を共にするだろう』

この別れは非常に美しいものでした。議論という行為の最も理想的な終わり方ではないでしょうか。たがいに影響しあい、その結果、二人はより高い段階の認識に進んだのです。
プリニオは、ここでしばらく出てこなくなりますが、青年時代、そして壮年時代に、ふたたび現れ、重要な役割を果たします。

ワルトツェル卒業後、自由研究時代に入ったクネヒトは、極力、目立たぬように、隠者のようにすごしました。あのプリニオとの議論で有名人になってしまったクネヒトは、そのイメージをぬぐいたかったのです。
クネヒトには、自分の意思に反し、人を引き付け、心酔させる力がありました。そうした影響力、カリスマをもつ人間は、その力に酔い、ふりまわされる人生を送ることが多いです。
クネヒトは、それを己にいましめます。そして、自分を慕い、助言を求める人々が、我意に欠け、支配されることを喜ぶような事態を憂慮しました。

これも、武術指導者のひとつの悩みに通じます。
指導者は教えるのが仕事です。したがって、その使命とは弟子の育成です。しかし、指導者を崇めたり神格化してくるような弟子はファンクラブを作るだけで魂を受け継ぐことはありません。
そういう弟子にかこまれていると、気分はいいけど、自分が死んだあとには、箸にも棒にもかからない有象無象が残るだけです。

さて、話を戻します。クネヒトはやがてガラス玉演戯に出会い、迷った結果、音楽ではなく、ガラス玉演戯者への道を選びます。

クネヒトは、自由研究時代の大半を、たった一枚の演戯の棋譜の解析に使います。他の同僚たちが、あれやこれやと手を広げていくのを尻目に、ただひたすら、一枚の譜面を研究するばかりでした。それも、特別なものではなく、演習でテキストとして使った学生時代のものでした。

クネヒトが最初に志していたのは音楽でした。ガラス玉演戯は、生の楽器や演奏からは離れた、エッセンスのみを抽出した蒸留物です。クネヒトはそうした存在に引きつけられながらも懐疑的でした。そこに音楽そのものがもつ感動はあるのか? と。
  
同様に、言語学や数学、そうした学問から見ても、ガラス玉演戯は、才知に走り、形式を弄ぶだけの、華麗だが無内容なものなのではないだろうか? とクネヒトは考えます。だったら純粋に音楽や数学のみをやったほうがいいのではないか?

そんなとき、クネヒトの心を打ち、ガラス玉演戯本来の価値を示唆したのが、この演習で使われた学生時代の譜面でした。
クネヒトはその演戯の中で、数世紀分の一つの分野の歴史を数分間で追体験するのを感じました。それは、あらゆるもののエッセンスの集約であるガラス玉演戯だからできることであり、その中ではすでに滅びたものも、過去も、全てが存在し、永遠に不滅でした。

クネヒトは演戯の中の蒸留されたエッセンスをひとつずつもとの形に戻し、再研究、再構成しました。これは言うなれば武術の型の動作の一つ一つを、どうしてこういう動きをするのか、実際に使えるのかを納得いくまで検証するようなものでした。

 ――『先生たちの大多数はこう言うだろう。われわれは数世紀かけてガラス玉演戯を考案し、完成した。いっさいの精神的芸術的価値と概念とを表現し、その公倍数を出すための普遍的言語および方法として。そこにお前がやってきて、それが合ってるかどうか再検討しようとする。お前はそのため一生を費やし、後悔するだろう。そんなふうにね』 

クネヒトはそう言って笑います。
作中で、クネヒトはとんとん拍子で名人への道を駆け上がっていくかのように見えますが、クネヒトと他の人間を分けたのはこうした性質だと思います。中国拳法にも、たった一つの技だけを何年も練習し名人になった人の逸話があります。これは不器用だったから、と言われていますがそうでしょうか? 私は、そのたったひとつの技に納得いくのに、それだけの時間がかかったのだと思います。

クネヒトは、やがてガラス玉演戯の本来の意義、奥義の一端に触れました。それは演戯を通して、一にして全、全にして一である深い場所に入っていくものでした。 それは特別な秘法によるものではなく、もっとも基本的なテキストを逐一検証していったクネヒトだからこそ到達できたことで、結果的には一番遠回りにみえたルートが最短距離だったのです。
武術でも検証を重ねた技は、形は同じでも、ただ習ってそれはそういうものだ、とルーティンワークでやってきた人と違い、手足の位置といった小さなことまで、全て必然と意味を持ちます。たった一つの技の中に、その流派のコンセプト、思想が体現されてます。その差が名人とただの愛好家を分けるものだと思うのです。

そして多分そこに到達できたもうひとつの大きな要因は、おそらく、音楽とガラス玉演戯を比較したり、音楽の良さをガラス玉演戯に求めなくなったからです。
またまた無理やり武術に話をこじつけますが、武術も多くのエッセンスが集約されています。しかし、大半の人は、それらをひっくるめて一つの「武術そのもの」として学びません。
ある人は強さのみを求め、ある人は美しさだけを、またある人は護身の技を求め、ある人は健康や運動としてそれを求めます。バスケや介護に応用したいという人もいます。
しかしそれは武術本来の価値ではありません。 なぜなら、野生のライオンなどを見れば分りますが、「強さ」「健康」「美しさ」といった要素は独立してあるのではなく、絡み合っている。いや、同じものであるからです。健康だから強く、強いから美しい。

武術の一部を欲するのではなく、自分自身が武術の一部であろうとするならばその人を構成する要素全てが武術に満たされるでしょう。
海を知ろうとするときに自分が海に入れば海の一部になることで全てを得ますが、海の水を飲み干そうとすれば身体を壊します。学ぶものを理解できるものとして捉えること自体、それを自分より卑小なものに貶めてしまう訳ですから、その道の蘊奥に達することはできません。

クネヒトはこの後、中国の易をよくする賢人や、マリアファルス修道院の学僧など重要な人物と会い、そこから多くの事を学ぶのですが、この稿ではバッサリ割愛します。 

次回は、クネヒトが敬愛し、カスターリエンへの道を開いたあの老音楽名人の死と、青年となって再び邂逅したプリニオのお話です。

つづく



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