見出し画像

謙虚さは魔除け

雑誌「致知」2021年4月号の特集は「稲盛和夫に学ぶ人間学」でした。

「謙虚さは魔除けだ」

この言葉は、稲盛和夫の傍に長年仕えてきた、日本航空元会長補佐で専務執行役員の大田嘉仁さんが、若い頃に稲盛氏から言われた言葉だそうです。

謙虚である限り、失敗することはないし、悪い人間も寄ってこない。謙虚さは魔除けなんだよ、と教えられたそうだ。

また、稲盛氏は悪意や怠惰からくるものではないうっかりミスに対しては非常に寛容だったが、人間性に関わるところには非常に厳しかったと大田さんは語っています。

ある日、一緒にうどんを食べているときに、大田さんが自分のうどんに七味をかけた後、稲盛さんに渡すべきところを渡さずに自分の傍に置いたら、劣化の如く怒られた。「お前は人のことを全然考えてない。それがお前の欠点だ!」と厳しく叱られたそうです。

また、大田さんはこんなエピソードも紹介していました。

「稲盛さんは、社員の心を一つにするためにコンパを頻繁に行ってきましたが、業績が悪い時は、いつもはあまり言わない冗談を行ったりして、明るく振る舞うんです。帰りがけに『今日は楽しかったですね』と言うと、『いや、しんどかった。皆を励まさないといかんかったからな。しかしそれが俺の役割なんだ』と」

他にも紹介したくなるようなエピソードや言葉がたくさんあるのですが、とにかく稲盛和夫という人は、「相手を想うこと」「相手を慮ること」を何よりも大切にしていた人だったんだなと強く感じたわけです。

優れたリーダー、人がついてくるリーダーに共通していることがあると、僕は思っています。それは、相手の行動や言動の「背景」を想像しているということ。「どうしたら喜んでくれるのか?」ということを、いつも考えていることです。

つまり、「相手を想うこと」「相手を慮ること」です。
稲盛和夫という偉大な経営者は、どの記事を読んでも、常に相手のことを考えて行動し続けるリーダーだったんだなと感じさせられました。

さて、「おもてなし」という言葉がありますが、この言葉を初めて使ったのは、世阿弥だと言われています(諸説あり)

世阿弥は、今から650年ほど前に日本の伝統芸能「能」を広めた人です。この世阿弥が残した言葉に「離見の見」という言葉があります。世阿弥は能の役者です。役者として舞台に立ちながら、能という芸能を一人でも多くの人に楽しんでもらいと、能のファンを増やすことに使命を感じていました。だから、世阿弥は観客が楽しんでいるかどうかにこだわり続けました。ただ自分が上手に舞うだけでなく、舞台で舞っている自分を観客はどのように見ているのかを考え続けたのです。

でも、ちょっと考えてみてください。自分が舞っている姿を観客がどのように見ているかを知るためには、自分の舞っている姿を、舞っている自分の後ろ側から見ることができなければいけません。この、自分を後ろ側から見る視点のことを、世阿弥は「離見の見」と呼び、本当に観客を想定して舞うためにはそのような視点が必要だと言ったのです。ある意味では幽体離脱のような視点ですが、このような視点を持つことこそが、ただ「見られる」のではなく「魅せる」ということなのだと、世阿弥は考えたのです。
これは中々すごい視点ですね。まさに卓越した一流のプロの技だと言えます。

観客を魅了するために、自分を離れた場所からコントロールする視点を持つこと。この考え方の延長線上に、「おもてなし」という言葉があるのだそうです。

おもてなしは、「表無し」。
表がないということは、裏しかないということ。

相手を喜ばせるためには、ほんの一瞬のおもてなしのために、考えたり準備したりする膨大な時間が必要で、そのような「裏側」にある努力こそが「おもてなし」なんだと。だから「表無し」なんだそうです(諸説あり)

相手を喜ばせるためには、常に相手を想像する習慣を持つことが大切だということが、650年前の本にも書いてあるのです。

稲盛和夫のリーダー像に「やっぱりスゴいなー」と唸りながら、650年という悠久の時間に思いを馳せ、もっと想像力を働かせなきゃ!と自分に言い聞かせたわけです。

頑張れ、自分!

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?