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短編小説 「焼け空の一日」

 寒さを感じながら職場まで車を走らせる。工場から離れた駐車場に止め、そのまま入り口まで歩く。その道のりはオレンジ色から紫色、暗闇へ、徐々に変わっている。

 更衣室で同じ作業員たちが、同じように着替え、各々の作業場に辿り着く。その中で様々な世間話、根拠のない噂話が飛び交っている。それはそれぞれの作業場に着き、作業を終え、自分の車に戻るまで続く。ここは饅頭工場で作業中は甘い香りが身を包むが、それは単なる空気になっていて、各々はえぐ味苦味で一杯だった。

 私の作業場は饅頭の検品作業で、作業中は会話が飛び交う。もしくは、無の時間が続く。大したエネルギーを使うことなく、疲れを感じ、家に帰る。車に乗る時、空は紫色のようでオレンジ色のようで、その先には薄い水色があった。その後は、何か食べ物を買い、家でそれを口に詰め込み、寝る。

 それが私の一日。

 ある日、ロッカーから作業場まで妙に騒がしかった。作業している時、隣の同僚から話を聞いた。

「例の部長、相手の男に殺されたって。」

 部長は不倫の噂があった。その部長がどうやら死んだらしい。別に、その後、詳細を聞くことはなく、かろうじて耳に入ったのは飲み屋街の路地で倒れてたということだ。心臓が悪いという噂も前に聞いたが、正直、関わりもないのでどうでも良かった。

 ただ、それなりに顔だけは工場内で見ていたので、何か引っ掛かるものがあった。

 死んだ。

 頭の中にはその言葉が私の中に打ち込まれる。妙に引っ掛かる。

 動かなければ。私の体は震えているようで、なぜか凍えた気分にもなる。

 ある休日、動かなければという気持ちが治らず、なぜか、その飲み屋街に足を運んだ。慣れない店の中で酒を頼み、とりあえず飲む。ただ飲む。たまに腹が減るので何かをつまむ。周りの騒がしさと店主の「よそ者」と言っているかのような目線が嫌になり、店を出る。そんなことを何件か繰り返す。

 雰囲気のいいパブを見つけ、入る。ビールを一杯頼む。周りはまばらで、店主もグラスを拭いている。

「どこで知りました?」

 突然、店主に声をかけられ、咄嗟に酔いが覚める。おどおどしている様は見せまいと何とか声を出す。

「ああ、前通って・・・気になって。」
「ありがとうございます。どちらから?」
「えっと・・・数キロ先離れたくらいかな。」
「ちょうどいいですね。」
「ああ、うん」

 安堵の一口を味わう。
その後、どうやら常連らしい女性がやってくる。彼女がカウンターに立つとそっとビールが置かれる。その時、ふと目が合い、お互いに会釈する。その後、何も会話の無い中、ただビールを味わう時間が続く。彼女がビールを運ぶ口元に目が入ってしまう。

 彼女がふと立ち上がる。その彼女にマスターは声をかける。

「じゃあ、そろそろ。」
「もう行かれるんですか?」
「ええ、次もあるから。」
「では、また。」
「明日また。」
「お待ちしてます。」

 彼女が帰る様子を見て、僕はその動きに引きつかれるように見ていた。何かしなくては・・・何か・・・、そう思っているだけで何も言えずに彼女はいなくなってしまった。

 グラスに付く泡を見る。

 何しに来たのだろうか。慣れない店に入り、何をしたかったのだろうか。対して知りもしない部長が死んだこの街に来て。

 行こうと思ったあの時、確かに私の中に何かがあった。まるで世界が終わってしまうかのような熱量みたいなものが確かにあった。何かしなくては、全てが終わってしまうかもしれない。

 だからなのかもしれない。震えるような、凍えた気分になったのは。

 何も考えずに、学生を終え、饅頭工場に勤め出した。そんな中に、ようやく一つ灯された熱いものがあった気がした。目的なんて何もない、ただ、誰かが死んだという不謹慎極まりないが、それでもその事件が私を大きく動かした。

 私は立ち上がり、急いで金を払い、店を出た。

 何となく彼女が行った方向へ走ってみる。もちろんどこにも居ない。が、とりあえず走ってみる。男女が溢れる中を潜り抜けて走っていく。しばらくすると、見覚えのある女性が立っているのが見えた。彼女だ。

 彼女の前には二人のカップルが笑いながら路地を見ていた。

「なんかジジイ死んでたらしいよ。」
「どんな。」
「えー、なんか汚かった。」

 その二人はフラフラとまたどこかの店に入る。

 彼女は立ったままだった。私は彼女に近づく。彼女は悲しい目で路地を見つめていた。

「ああ、さっきの。」
「はい。」

 そこは何もない、ネズミととゴミだけがある小さな路地だった。

「ここで・・・私の知り合いが死んだ。」

 ふと、路地を見るとそこに自分が倒れている映像が頭の中で再生された。多分、そこは部長が死んだ場所なのだろう。でも、そこには私が倒れていた。

 彼女は手をさする。

「寒いですか?」
「ええ、とっても。」

 私はその手に近づく。

「触れてもいいですか?」
「どうして?」
「私も冷たいから。」

 私はそっと手に触れる。それから、私たちは長いことそこに居続けた。
どれだけ居たのかは分からない。やがて、周りの人がいなくなり、その街の夜が終わった。

 周りの色が紫色からオレンジ色に染まり、薄い水色が顔を出す。

 私は、前からその朝焼けと夕焼けの色が好きで、夜勤が多い私には、その焼ける空で始まりと終わりを迎えるのが好きだった。


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