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【ネタバレなし】映画「アンテベラム」を観たら、身近な偏見に吐き気がわいた

「アンテベラム(Antebellum)」は、2021年11月5日に日本で公開された映画。

ジャンルは、ホラースリラー。

監督はジェラルド・ブッシュとクリストファー・レンツ。製作陣には、「ゲット・アウト」「アス」のプロデューサーであるショーン・マッキトリックが参加している。

この映画の謳い文句としては、「伏線回収」「どんでん返し」といった言われ方。でもそれは表向きの話。この映画の本質は、世界・日本・街中、そして自分自身に潜在する「偏見」へのクエスチョンだ。



映画作品としての品質は間違いない。
でもこの映画はそれだけに収まらない。
僕たち自身が気付けていない、ネガティブな価値観を掘り起こしてくる。



(1)「導入パートはつまらない」という伏線

冒頭20~30分、僕は正直何度かあくびをした。この類の映画をたくさん観てきた人間からすると「あるある」なシチュエーション、キャラクターだったからだ。

脚本の動きにそこまで派手さが無く、面白い映画なのか、かなり懐疑的になっていた。
実際、同じスクリーンを観ていた他の観客は、どうも身体が動きっぱなしだった。池袋HUMAXシネマズのポップコーンが、それだけ美味しかったのかもしれない。それにしても観客の態度は、やたらよそよそしかった。僕と同じく、若干のつまらなさを感じていたのだと思う。

しかし、映画を観終わった後、「冒頭内容に対する僕たちの怠惰な気持ち自体が、偏見の塊だったのかもしれない」と感じた。

つまり、冒頭のつまらなさが、この映画の最高のスパイスになっている
そして、冒頭のつまらなさが、後々僕の心に、大きな見えない落とし穴を作っていた。


(2)だんだん感じる違和感”そのもの”に違和感を覚える

この映画の具体的な設定は何も言えない。全てが何かしらへの伏線・メッセージに繋がるからだ。

抽象的に言うなれば、観客側が「変わった設定だな」と思う設定自体が、僕
らの倫理観にメスを入れてくる。

「実際の世の中と比べてどの点が違う?」
「この気持ちは正しいんだっけ?」
「何が正しいんだっけ?」

こう思うようになると、自分自身に疑心暗鬼となる。

「僕のこの価値観は、果たして本当に正解なのか?」と。


(3)街中にある「~らしさ」に対する吐き気

この映画には、多数の「タブー」が表現されている
だからこの映画を終わった後、僕は日常にある「~らしさ」というノイズが多い事に気付き、気分が悪くなった。

・男性=ブルー、女性=ピンク
・女性ならではの視点
・男らしい恋愛観を歌うストリートミュージシャン
・レディースディ
・弱虫という男向けの単語

・「外国人」に対する違和感視
・多数派とは異なる歩き方の人
・非正社員への劣等視
・恋愛と結婚と出産への「すべき」感
・高収入=正義

街中に、そして僕たち自身の中に、あらゆる「~らしさ」が存在する。
意識していないだけで、潜在的に埋め込まれていることもある。

「強制的に変えていくべき」とまでは思わない。
ただし、もしその事象に「対立構造」があるならば、タブーにしてはいけない。意見を交わす場を設けよう。

日本だけでなく、世界中のメジャーコンテンツで堂々と「タブー」を詰め込んだメッセージを発信する人々が、果たしてどれほど居るだろう。

僕は「タブー」が嫌いだ。
人間関係・性・死・差別・格差・既得…。
あらゆる事項について目を背けたくない。

この世で言われている「当たり前」はすべて、誰かが作った「当たり前」だ。

だからこそ、「当たり前」を固定する必然はない。おかしいと思えば、変えようとすれば良い。

しかし、一人の力だけで「当たり前」を変えることは不可能だ。僕ら一人一人が感じる価値観は、可能な限り、どんどん声を上げたほうがベターだ。

人と人が価値観を交えてこそ、人や物や価値はアップデートされる。


(4)さいごに

伏線回収系として、この映画はとても高品質だ。

それと共に、クリストファー・ノーラン監督の作品「プレステージ」に通ずるような「観客への挑戦状」的な作品でもある。

多様性が叫ばれる昨今、僕らは空気ではなく、人間の本質を読む必要がある。

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