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読書感想文『対象関係論を学ぶ』を読んで


1.     はじめに

 本書を選んだ理由は,2点ある。まず1点目は,前期の精神分析に関する授業で,早期エディプスコンプレックスの概念が分からず,調べていた末に本書にたどりついたためである。当時は時間に追われ,本書を流し読みすることで終わってしまったため,この機会にもう一度しっかりと読んでみようと思うに至った。2点目は,これから臨床経験を積んでいく中で,対象関係論が「転移」「逆転移」といった現象,「妄想」などの病態,「抑うつ」といった情緒に,適切な理解や,対応を考える上でのヒントをもたらすと考えられるためである。

 牛島定信先生は,『推薦のことば』にて,「上の方から教えてあげるといった姿勢ではなく,求めるものを一緒に探そうという態度での文章であるだけに,これから精神分析を学ぼうとする若い人々には,きっと大きな刺激を与えるに違いない。多くの,とくに若い人たちに読んでもらいたい書である。」と述べている。また著者である松木邦裕先生も『あとがき』にて,「スーパーバイジーだったその当時,手に入れたかった書物を目指しました」と述べており,私のような心理臨床における初心者が読むべき一冊であることは言うに及ばない。



2.     内的世界と心理療法

 本書によると,私たちは普段ほとんど意識することなく,内的世界での体験や感覚を,そのまま現実の外界に持ち込んで,それらがあたかも外界での現実の知覚や認識であるように混同してしまっているという。そして,このことが歪んだ認知や病的ふるまいを起こしていると考えている。そこで,自分自身の内的世界を客観的に見て,意識的に理解していく作業を行うことで,内的世界と現実外界を区別していくことが必要であると考えているようだ。精神分析では,クライエント自身が内的世界を見つめるのを援助していくことが心理治療の目標としている。

 これは,精神分析に限らず,どのオリエンテーションを持つ臨床家にとっても必要な視点であるだろう。統合失調症者の「妄想」を理解するためには,クライエントの内的世界と現実外界を区別して理解することが必要不可欠なのである。しかし,その前に我々はクライエントの「妄想」を「確かにこの場で感じたもの」であることを信用し,その恐怖を否定しないことが重要になるのではないだろうか。

 例えば,統合失調症者が口にする「コンピューターが自分を見張っていて,自分の脳を操っている」と訴えているとき,クライエント自身はその妄想によって追い詰められ,強い不安を感じているはずだろう。妄想の内容に対しては否定も肯定もしないが,不安な気持ちには共感を示し,安心してもらうことが大切であるだろう。これは統合失調症者だけでなく,「物取られ妄想」の症状がある認知機能が低下している者に対しても同じ対応が必要だと考えられる。



3.     内的世界の理解と偏見

 「精神分裂病」から「統合失調症」への呼称変更により,統合失調症者へのネガティブなイメージは軽減されたが, 依然としてその偏見は残っており,偏見や差別の解消を求められている。先行研究では,一般の人の多くが統合失調症者に対して「かなり危険」「やや嫌い」「やや避けたい」という態度を持っていることが示されている。統合失調症者の症状は一般の人にとって,不可解で不気味に感じられ,近づきがたいイメージを持つようである。しかし,なぜそのような症状となるのかについての理解が得られれば,そのような無用な不安を持たなくて済み,統合失調症者への対応に戸惑いを軽減することにつながるだろう。そういった目的で,対象関係論を理解することは,こういった偏見の解消に寄与すると考えられる。実際に,以前までは,私も自分自身の内的世界と,統合失調症者の内的世界の違いを受け止められず,街で出会う統合失調症者に対し,しばしば恐怖を感じていた。対象関係論を学ぶことによって,統合失調症者への理解が進み,恐怖感を減らすことができたように思われる。

 対象関係論における統合失調症者の内的世界の理解の例として,上記の「コンピューターが自分を見張っていて,自分の脳を操っている」という例では,この人の自我機能のうち,見る,話す,考える,触るというそれぞれの機能を含む,断片的な自己が分割され,コンピューターという迫害対象に投影されていると考えられる。そこには,なまなましい憎しみや敵意などの感情も同時に投影されており,ゆえに「迫害」対象と呼ばれる。こういった投影により,自己と対象とが混乱してしまう。しかし,この投影は空想にすぎず,実際に身体が離れてしまうわけではないため,自分のいろいろな感覚や思考や感情を感じないわけにはいかないことから,このような「妄想」は生じているのである。

 私のようなこれから心理臨床に携わっていく人にとって,こうして内的世界を理解していくことは非常に重要であり,半ば必要不可欠かつ当たり前となっているが,心理臨床に携わらない人であっても,自分の得体のしれないものへの「恐怖感」に疑問を持ち,その「恐怖感」の起源や,自分や他者の内的世界のあり方を学び,感じ取ることで,無用に人を傷つけることをなく済むのではないだろうか。



4.     対象関係論で学ぶ「思いやり」

 本書によれば,自分の中に傷ついた「対象」がいるとき,愛情と憎しみのはざまで生じる,苦痛な心の痛みをごまかそうとする「優越感」や「被害感」といった感情を自分自身のものとして認め,傷ついた「対象」との結び付きの中で味わい,「対象」も同じ苦しみを味わっていることに気付き,「対象」を修復しようとすることで「思いやり」は生じる。しかし,そのはざまで持ちこたえることができなかったとき,うつ状態に陥るとのことだった。裏を返して考えてみれば,抑うつ状態に陥り,「空虚感」や「罪悪感」を感じているということは,自他境界の明確化によって,愛情と憎しみの葛藤を葛藤として認識することができているということではないだろうか。

 筆者は「深い思いやり」が私たちの感情の成熟でのひとつの到達点と表現できると述べている。これは神や仏の慈悲の心のようなものであるものの,修行のように求めて手に入るのではなく,上記なような自分の中の傷ついた「対象」との結びつきを味わうことで,ゆっくり育まれていくという。


5.     対象関係論と私

 本書を自分に照らし合わせて読み進めると,すとんと腑に落ちて理解するときがある。人生がなかなか上手く行かず,時として被害的になったり,絶望的になったり,孤独感に押しつぶされそうになり,今までうまく適応してきた「良い子」であった自分(対象関係論で考えれば躁的防衛の状態)と比較し,苦痛にさいなまれることがあった。「良い子」であったときは,傷ついた「対象」がもうすっかり大丈夫であり問題ないと思い込み,無意識のうちに苦しみや痛みを「否認」し,それらに寄り添い,心に据え置くことができていなかったのかもしれない。本書を読むことで,私の傷ついた「対象」の痛みに目を向けることができるようになり,救われたように思う。この痛みを感じるよりも被害的になっていたほうが楽であるのかもしれないが,長い目でみれば,痛みを味わい,受け入れるほうがずっと楽になるように思える。



6.     おわりに

 私たちは,程度に差はあれど,つらく受け入れがたい不安や苦痛,不快な感情や感覚を「対象」に投影して,自分自身を守っている。心理療法の過程においても,クライエントはセラピストに対し,不安や苦痛,不快な感情や感覚を投げ込む。それにより,セラピストが不快な感情や感覚を覚えることは自然のことであり,それを「逆転移」と捉えることが,クライエントの心に近付くヒントになり,他者の心を理解する際に応用できる視点である。その受け入れがたい感情や感覚は「クライエントが投げ込んだもの」か,投げ込まれたことによって改めて感じた「セラピスト自身がこれまでの人生で見過ごしてきたもの」か,今一度確認しながら心理療法を進めていく必要があるだろう。そして,私たちはあくまでもクライエントとの二者関係の中で,大きく包み込む母親のようなコンテイナーとして機能し,今日学んだことをクライエントのために使っていく必要がある。



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