【完全版】 青森の救世主 (上)
☆はじめに☆
本作は、カクヨムにて開催された個人設営のコンクール「草食信仰森小説賞」への応募作の完全版です。応募テーマは「信仰」でした。
このような感じの内容にも関わらず、応募規定の最大値・1万字を軽く越えてしまったため、2000字ほどを削りました。
今回、主催者の方に転載の許可をいただき、若干の手直しをしてここに掲載するのがその全長版=完全版となります。それではお楽しみください。
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世界の謎と秘密のニュース オカルティア 2019.10.5
キリスト教の聖地エルサレムで、珍事が持ち上がっている。イエス・キリストを名乗る男性が現れたのだ。
しかも、2人!
エルサレムにはキリストの墓とされる場所が二ヶ所ある。正教会などが管理する聖墳墓教会の建つ位置と、聖公会などが主張する「園の墓」と呼ばれる場所だ。
今月2日(現地時間)の昼、聖墳墓教会のあたりからのっそり現れた男がいる。
布を体に巻きつけ、裸足で、額に細かな傷があり、アゴ髭を蓄えたその男性は突如として出現した。
「コスプレイヤーかと思った。教会の出し物かと」と目撃した旅行者は語ったという。
それはまさにキリストを思わせる姿であった。
髪の毛は短い。だが実は、キリストが生きた当時は長髪はよいものとされておらず、世間のイメージと違い実際の彼も短髪であった可能性は高い。
警備員に誰何された男はこう答えたという。
「神が私をお遣わしになりました。私はこの世界を救いにやって参りました」
警備員は驚いた。なんと昨日「園の墓」近くで、彼そっくりな男が現れ、彼もまたイエスを名乗っていたからである…………
「…………あのぅ、おめさんがさっきがら、シューッシューッって指でやってるそのちっこい板、ほれ、なんですかのい?」
俺の目の前に座る男が、ひどく訛った口調でそう聞いてきた。
高校生や暇な奥様でぎっしりな昼間のファミレスはにぎやかだ。しかし彼の声はそんな中でもよく響き、よく通った。いい声だった。
「これは、スマートフォンと言って」
「すまぁとほん」
「通信機器の一種……」
「つーすんきぎ」
男はおうむ返しに言う。
俺は改めて男を見た。
乱暴に切られた短髪とは対照的に丁寧に整えられたアゴ髭。茶色い目は澄んでいる。異邦人にも、日本の東北人にも見える不思議な顔つきだ。
がっしりとした体格の上に、俺が貸してやった上着を羽織っている。その下には白い布を体に巻いているきり。
テーブル席の下の素足には、俺がすぐそばの靴屋で買ってやったサンダルが装着されている。680円。夏の在庫処分のセール品だった。
「うん、ちょっとオラにはわがんねぇですね。したば、まず、いぃです、ハイ」
そう言って男は再びパンと焼き魚を食べはじめた。妙な取り合わせだ。手とスプーンひとつで器用に食べている。時折コップの水を飲む。
俺はドリンクバーしか頼んでおらず、しかも一杯目のコーヒーにすら手につけていない。
飲み食いできるような心境ではないのだ。
ここは青森県三戸郡、国道沿いに建つファミレスである。
東京からやって来た俺の前に、この男は現れた。布一枚を体に巻いて。裸足で。
ある“墓”のそばの、木の柵に寄りかかっていた。
「……どうしました? 大丈夫ですか?」
調子が悪いように見えたし、折悪しく周囲には誰もいない。
「あァ、大丈夫です。まず、すんぺぇ(心配)いらねっす」男は答えた。「ちょっとあの、さっき復活しだばっかりだもんで」
「……復活?」
俺は思わず、すぐそばに立つモニュメントを見上げた。
巨大な、白い十字架である。
ここは青森県の旧戸来村、そしてこれは、「イエス・キリストの墓」だ。
「ほぅです、さっきこごで」
男は十字架の根元を指さした。
「あなた、まさか」
タチの悪い冗談だと思った。まさか「そう」名乗るつもりじゃないでしょうね、と聞く前に、彼は答えた。
「んです。神が、オイどごお遣わしになりますた」
男は柵から身体を離してまっすぐ立った。
「オイは、せかいどご、救いにやって来まスた」
それが「私は、世界を、救いにやって来ました」という意味だと理解するのに、数秒かかった。
俺と彼との出会いは果たして、こういう具合だった。
「しかし、あンたさんさっぎ、『ライダーしでます』つってだけんども」男はゆっくりと食べる手を止めずにまた聞いた。「ライダーってなんですがのい?」
「ライターです。ライター。要するに……物書きです。いろんな重要な情報を、多くの人に知らせる仕事……」
そこまで言って俺は苦笑して、はじめてコーヒーを口に運んだ。ブラックのコーヒーはギュッと苦く、俺のいまの心境にしっくりきた。
「ほいあばオメさん、えれぇごどしてんだない。世のタメさなるごどでねぇっすか」
「……そうでもないかな」
俺の書いているものは重要な情報ではない。多くの人に知らせるとは言ったが、果たしてどれだけの人に読まれているのやら。そして書いているのはろくな文章ではない。
俺は世に言うオカルトライターだ。
時折コンビニの中段あたりにポコッと置かれて、いつの間にか消えている怪しげなムック本や雑誌。
事故物件だの都市伝説だの、昔の猟奇事件の真相だの最新の陰謀論だの、そういうものがごっそり山と載っている本に、俺は主に記事を書いてメシを食っている。
まぁネットに押されてそろそろ食えなくなりつつあるが、それはさておき。
今回は取材ではなく、いわば里帰りであった。しかし青森へひた走る車の中で、オカルトライターであるにもかかわらず地元の有名な謎スポットを見たことがないのに気づいた。
俺は仕事に行き詰まり、ネタに困っていた。
写真を撮っておいてネットで珍説を仕入れて、2ページ分ほどの記事をでっち上げて温存しておこうか、と考えた。
そこで出会ったのがこの男だったわけだ。
最初に声をかけた時は純粋に親切心だった。服装の奇妙さにも声をかけた後で気づいた。
だが彼が堂々と救世主を名乗った途端に、ソロバンがパチパチ動き出した。
「青森のキリストの墓で 『救世主』に遭遇!」
「『世界を救う』と語る彼の真意は?」
「混沌の世に語る! 今いかに生きるべきか!」
そんな見出しが頭の中に浮かんだ。
調べてみたらタイミングよく、何故か聖地エルサレムでも復活しているらしい。しかも、2人。どんな巡り合わせか知らないが、とにかく記事のボリュームは増える。4ページはいける、と皮算用した。
どう考えたってこの男は、頭のおかしな奴だ。
エルサレムで復活するならわかる。それは奇跡だろう──本物であるなら。
だがこんな、青森で復活するだなんてバカらしいことがあっていいわけがない。
青森でキリストが死んだというのは、竹内巨麿というオッサンが発見した通称「竹内文書」なる古文書に記されていた。ところがこの文書そのものがまるっきりのでっち上げで──まぁ要するに、単なるヨタ話なのだ。
しかもこの男は日本語を喋っている。その上訛っている。二重三重にありえない。
想像するにいわゆる「電波」……言い方がまずければ「啓示」を受けたこの男は、近場からフラフラやってきたのだ。で、あそこで辻説法でもやりたかったのだろう。我いま復活す、終わりは近い、悔い改めよ、云々。
そういう奴を捕まえて食事に誘い──へぇ、じゃあ、もしよがったら、と彼は応じた──インタビューし、記事にするのは倫理的にどうかと思うが、そもそもが倫理的に怪しい雑誌やムックばかりに文章を書いている。
しかも彼はきっと語りたいだろう、現世を嘆きたいことであろう。それを聞いて文章にして世に広めるのだから、これはむしろ善行なのだ。
そう考えることにした。
俺はカバンからレコーダーを出してかちり、と録音ボタンを押した。彼はちらりとそれを見てから、小さくちぎったパンを口の中に入れた。
「すいません」
「ハァ」
「お話を聞かせてもらっていいですか」
「へぇ、時間の許すかぎりあば。何をおきぎになりますか」
よくわからんが、タイムリミットがあるらしい。俺は構わず聞いた。
「世界を救うために来たとおっしゃいましたが、何か、世界に危機が迫ってるんでしょうか」
「ンですねぇ。せまっでますねぇ」
「それは具体的にはどのような危機なのでしょう?」
「……ほいはねぇ、ちょっと、簡単には言い表せねェモンですね」
彼はスプーンを置き、難しそうな顔をして腕を組んだ。
なんて奴だ。世界を救うとか言っておいて、何から救うかを考えていなかったのか?
「それは、神が引き起こすものではないんですか?」
「いや、神がおっしゃるヤヅとはまるで別のモンが来てしまうンですよ。時期もまだチョッコシ早ぇもんで、ほいで、オイが止めにきたんでスよ」
「天変地異でしょうか。それとも戦争……? 地面が割れるとか海が溢れるとか……」
「そういうのもあるっちゃああるんですが、もうチョッとドでかいモンです。あと悪いモンです」
「悪いもの」
「ンです」
「どのくらい」
「そらもう、すンごく悪ィです」
「外宇宙からの侵略、とか……」
「ソトーチュー、って、なんですかのい?」
「じゃあ宇宙人じゃないんですね、つまりどういう」
「ほれがねぇ、どう言うたらいいのがわがんねぇぐで……」
「あの、そこをどうにか」
とここまで迫った時、妙な音が俺たちの座るテーブル席を震わせた。
ググゥ……というそれは、俺の腹の虫が鳴いた音だった。
「あ、すいません」
俺は赤面した。節約のため今朝から何も食べていない。昼飯代はこいつにおごってしまった。
「おめさんアレですか、お腹、すいでるんですか」
「えぇ、まぁ、少し」
「なにが食べだらいいんでねぇですか」
「いえ、大丈夫です」まさかこんな身なりの男に、懐が寒いとは言えない。
「食べねぇどダメでスよぉ。お腹がすいだらまず、お供えモンでもなんでも食べねぇど……」
「コーヒー飲んでますから」
「オイだけパンど魚、食べさせでもらって、申しわげねぇですよ……あの、ちょっくら待ってくだせぇね」
彼は皿に残ったパンの一欠片を左の手の平に乗せた。それから右手で蓋をした。
時間にして2秒も経たぬうちに、右手をどけた。
俺は目を剥いた。
さっきまで欠片しかなかったパンが、まるまるひとつのふっくらとしたパンに戻っていた。
「はい、どンぞ」
彼は皿にパンを戻して、俺の方に押し出した。
「食べでください。気にしねぇで……」
俺はパンを見た。次に相手の顔を見た。得意気でもなんでもない表情だった。
「……どうやったんです」
俺は思わず聞いていた。
「増やしまスた」
彼は答えた。
何か言葉を言おうと息を吸ったが、何も浮かばなかった。手品、奇術、催眠術、単語だけがよぎった。
おそるおそる指でパンを押した。柔らかい。パンだ。パンは、確かに、ここにある。催眠術ではない。
「……あの……食べねぇんですが?」
男は俺の顔を覗き込むように言う。
「……どういう、仕掛けですか?」
ようやくそれだけ言った。
「“すかけ”もなんもねェですよォ。あー、はズめて見る人は驚かれまスけんど……」
こともなげにそう言う。
まさか。
聖書の一説が頭をよぎる。手元にあった水の入ったコップを向こうにやった。
「すいません、あなた、これを」声がつっかえる。「ワインにできますか?」
彼は綺麗な瞳でコップを見ると、「へぇ、大丈夫ですよ」と頷いた。
水が八分ほど入ったコップを握って、くるくると三回ばかり回した。
透明だった水に渦の中央から色がついていく。それが全体に馴染んで、コップの中身が濃い赤に染まった。
俺は何も言わずコップをひったくって、ひと口飲んだ。
舌に苦味と、喉に刺激が走った。葡萄の香りが鼻を抜け、アルコールが胃の壁に広がるのを感じた。
水は、ワインに変わっていた。
信じられなかった。
パンひとつならまだいい。どこかに持っていたやつを、右手に隠して、左手に被せる。それでいい。
しかしワインとなると……例えば手の中に濃縮して凍らせたワインを忍ばせておいて、それをさりげなく水の中に、いやそんな動作はなかった。
だが──だがしかし────
「あら! こいあば困ったや! 布かがってでわがんねがったや!」
男はやおら立ち上がって叫んだ。下ろされたスクリーンの隙間から外を見れば、気づかぬうちに夕刻である。
「すいません、ちょっとお願いがあるンすけども!」
まだ頭の回転しない俺は口を開いたまま頷いた。
「こごからちょっど、さっぎのあの、箱みでぇだ動ぐ……『くるま』ですがの? アレで海まで連れで行っでくれませんがの?」
男は俺の上着を着直した。
「さっきも言いましたけんど、日が暮れねうちに海さついでおがねどダメなんです!」
サポートをしていただくと、ゾウのごはんがすこし増えます。