【たのしいどうわ】うさぎとメカ
「やぁ、うさぎさん。またせたね」
かめさんは、うさぎさんのまえに立って、いいました。
うさぎさんは、なにも、いえませんでした。
かめさんのからだのおおきさが、3メートルになっていたからです。
もはや、巨体と表現せらるるほどのおおきさでした。
きのうのおひるに、「かけっこしよう」といった、あのちいさなからだとは、くらべようもありません。
かけっこを見にきた、たぬきさん、くまさん、きつねさんたちみんなも、言葉を失いました。
それに、かめさんのからだは、おおきくなっただけではありません。
かおの右はんぶんが、皮膚ではなく、硬く冷たいなにかにおきかわっています。陽光を鈍重に反射させています。
「にんげんがつかっている、水をはこんだりする、あの入れものにそっくりな色だ」
きつねさんはおもいました。「ブリキのバケツ」のことでした。
「どうしたんだい、うさぎさん。びっくりしているね」
だまっているうさぎさんを見て、かめさんは口角をねじるように嗤いました。それにつれて右の眼がギュルリと収縮します。
かおだけではありません。手や足も、おなかも、おなじようなぎんいろのものに、おきかわっています。
おなかに、まるい豆みたいなものがたくさんついて、光がついたり、きえたりしています。
きのうまでおしりについていたシッポは、なくなっていました。
かわりに、まんなかをくりぬいた、みじかい木のようなものが、ついています。
エビデア式ジェットエンジン、通称ギガ・ジェットと呼ばれる代物です。
天災でも人間でもない、森のどうぶつたちには全く未知の存在として、かめさんはそこに立っていました。
「そのからだは、どうしたんだい。ずいぶんと、おおきくなったね」
うさぎさんは、しずかに、いいました。
「はなすと、ながくなるんだ。そんなことよりも、そうら、きのうやくそくした、かけっこをしようじゃないか」
かめさんは、いいました。これ以上の質問は無用かつ無為である。そのような言外の圧を感じられる口調でした。
「そうら、どうする。かけっこをするんじゃないのかい。どこが、スタートで、どこを、ゴールにするんだい」
かめさんは、うさぎさんに、ききました。
たぬきさんが、すすみでて、いいました。
「うさぎさん、うさぎさん、かけっこは、よしたほうがいいよ。こんなおおきくなったかめさんに、かてるわけが」
かめさんのみぎてが、ガシャン、とうごきました。
たぬきさんのくびを、つかみました。
「やかましいぞ。おれは、うさぎさんと、かけっくらをするんだ。だまらないと、あたまを、もいでしまうぞ」
「ご、ごめんなさい」
たぬきさんは、あやまりました。
「そうだ。わかれば、いいんだよ。この畜生風情が」
かめさんは、たぬきさんを、はなしました。みんな、この言動に、騒然としました。
「かめさん、かめさん。わかった。かけっこをしようじゃないか」
うさぎさんは、いいました。
ほかのどうぶつたちは、おどろきました。
さすがのうさぎさんも、こんなスゴいことになったかめさんに、かけっこでかてるとは、おもえません。
いいえ、それだけではありません。
かけっこといいながら、このおおきな、スゴいことになったからだで、なにをしてくるかわかりません。
さっきから、ニヤニヤと、わるい笑顔になっておりますし、いま、たぬきさんに振るった暴力と暴言も、その証左です。
かめさんは、肉体だけでなく精神的にも、おそろしい存在に、変じてしまったのでした。
「そうかい、そうかい、それはよかった。じゃあ、かけっこをしよう」
かめさんの口が、よこに、大きくひろがりました。口のなかが、ぽっかりとまっくろでした。その暗さに、どうぶつたちは、ぞっとしました。
うさぎさんは、そばにおちていた、ながい木のえだをひろいました。
「それじゃあ、きつねさん。ひとっぱしりいって、このえだを、あそこの丘のてっぺんに、さしてきてくれないか」
きつねさんは、ふるえながら、うん、とこたえて、丘の上まで走っていきました。
うさぎさんは、かめさんに、いいました。
「あのえだをとってきて、さきに、ここにもどってきた方が、かち、ということにしよう」
「わかった。ようくわかったよ」
かめさんは、わらいながら、こたえました。
「それじゃあかめさん、ぼくは、“準備体操”をするよ」
うさぎさんは、いいました。
「──”準備体操”?」
かめさんは、ききました。
「そうだよ、かめさん。きつねさんがかえってくるまで、ぼくは、あの森のなかで、準備体操をするよ。がんばって、はしるんだからね」
うさぎさんは、うしろの森を、さしました。
「3ふんくらい、準備体操を、するからね」
「おまえ、にげるつもりじゃ、ないだろうな」
かめさんは、ぎろりと、にらみました。
「とんでもない。にげたりはしないよ。それに、かけっこは、ぼくが勝つからね」
うさぎさんがこういったので、どうぶつたちはまた、びっくりしました。
かめさんも、びっくりしました。
「なんだとっ。よくもそんなことを」
かめさんの左の顔のこめかみに、青いスジが浮かびます。
「まあ、おちつきなよ、かめさん。しょうぶには、おちつきが、かんじんだよ。じゃあぼくは、準備体操を、するからね」
うさぎさんは、ぴょんぴょんはねて、森のなかへと、入っていきました。
きつねさんがかえってくると、うさぎさんも森からでてきました。
「じゃあ、かめさん。かけっこといこうか」
うさぎさんは、すずしいかおで、そういいます。
「おう、やってやろうじゃないか」
かめさんは、こたえました。
うさぎさんが、あしでじめんに、線をひきました。
「くまさん、くまさん、わるいけど、『ようい、ドン』を、やってくれないかい」
うさぎさんは、やさしく、たのみました。
くまさんは、おびえてせなかをまるめながら、ふたりのうしろにいきました。
「おいおい、そこにいたら、あぶないぜ。おれのシッポから、火がでて、黒こげになるぞ。くまの、丸やきだ。ぎゃっはっは」
かめさんにいわれて、くまさんはヒイッ、とさけびました。
かめさんがガシャンガシャンと音をたてて、四つんばいになると、シッポのジェットエンジンから、音がではじめました。62枚の羽根が、回転しはじめたのです。
「かめさん、かけっこのまえに、いっておきたいことがあるんだ」
うさぎさんは、いいました。
「きのう、『きみは、ゆっくりで、足がおそいね』なんていって、ごめんね」
かめさんは、うさぎさんのほうを見ずに、こたえました。
「ふん。今さらあやまったって、おそいんだよ。カスが。おまえの足が、どれだけはやくても、うまれかわったおれさまには」
「でも、勝てるよ」
「なんだと?」
「このかけっこは、ぼくが勝つんだ」
かめさんは、うさぎさんのほうを見ました。
だけれど、もううさぎさんは、かめさんのほうを、見ていませんでした。
いつものすずしげな表情で、スッと通った鼻筋を、まっすぐ丘へとむけています。
(ハッタリだ)
かめさんはおもいました。
(俺に負ける要素はない。ジェットエンジンを搭載したこの体に、生身の足の速さが勝てるものか)
しかし、とかめさんはおもいます。
(あの“準備体操”とか言った数分間──あれが気になる。それに「勝てる」と言ったのけるこの余裕だ。これは、どこから来る? どこから来ている?)
くまさんがビクビクとふたりのよこにくるあいだも、かめさんはかんがえます。
(あの“準備体操”の3分で何ができた? 俺を陥れる罠のような──いや、無理だろう。仕掛けたにしても、俺をピンポイントで狙えるわけがない。
丘の上に刺した枝はどうだ? いや、渡す前も渡した後も、小細工をする暇は一秒とてなかっただろう。
きつねの野郎に何か合図したり、囁いた様子もなかった。丘の方に罠や仕掛けがあるとも考えられない。
そもそも、俺がこの姿でやって来たこと自体がイレギュラーなのだ。前もって備えておくこと自体が無理なのだ。
しかし腑に落ちない。完膚なきまでに負けるとわかっているはずなのに、どうしてこいつはこんなに落ちついていられる?
しかもあまつさえ、この俺に向かって「勝つ」とまで宣言して──)
かめさんはもういちど、うさぎさんをみました。
うさぎさんは、横目で、かめさんをみました。
その口が、フッ、とわらいました。
かめさんの全身が沸騰し、音を立てるように脳に熱い血が流れ込みました。憤怒の血でした。
ふざけやがって。
ふざけやかって、このクソうさぎが。
よしわかった。いつもクールでいる貴様の、そのプライドを踏み潰してやる。蹂躙してやる。凌辱してやる。
「い、位置について! ようい!」
くまさんが手をあげました。
かめさんのうしろで、ゴウゴウとエンジンがまわります。
「ドン!」
そのしゅんかん、かめさんのエンジンからゴウッ、と、火が吹き出ました。
「よいしょっ、と……」
うさぎさんは、丘の上から持ってきたえだを、じめんにさしました。
「たしかに、ぼくがかったね」
うさぎさんは、いいました。
どうぶつたちは、まだ口をあけてぼうっとしています。
「うさぎさん」たぬきさんが、ようやくいいました。
「どうして、こんなことに。うさぎさんは、なにかやったのですか?」
「ぼくは、なにもしませんでした」
「では、森のなかで、なにを?」
「川でかおをあらって、自分をおちつかせただけです。さわがず、おびえず、いつものじぶんでいようとしました」
「なぜですか?」
「それは──いや、『なにもしなかった』ではなく、こういうべきだったかもしれません。『なにかやったかのように思わせた』と」
うさぎさんは、しずかなこえで、みんなにせつめいしました。
「じぶんのことだと、かんがえてみてください。スゴいからだになったのに、たたかうあいてが、ごくふつうのたいどでいたとしたら。
『こいつはどうして、こんなにふつうでいられるのだろう』と、おもうはずです。
そして、しばらくのあいだ、みえないところにすがたを消します。
『もしかして、どこかに、ワナがあるのではないか』
そういうきもちが、こころの中にあらわれるでしょう。
そして、あいてが『かてるよ』といってのけたとしたら、どうなるでしょう。
『きにいらない。もうワナも何もかんけいない。ぜんぶブッとばして、ぜったいにかってやる』
そんなふうに、かんじょうがたかぶって、力がはいるにきまっていますよね?」
うさぎさんは、つづけます。
「そして、もうひとつ、じゅうような点があります。これをわすれてはなりません。
かめさんのからだは、きのうのおひるからきょうにかけて、すごくいそいで、あのからだになったとおもわれます。
だれによって、どうされたのかはわかりません。それはだいじなことではありません。
ここでだいじなのは、『すごくきゅうなできごとだった』ということです。
そして、きのうからきょうにかけて、このあたりでは、かめさんがうごいてなにかするような音は、まったく、しませんでした。
つまり、かめさんは、あのからだを『ためしてみる』じかんが、ぜんぜんなかったのです。
すなわち、どのくらいの力でやれば、どれくらいのはやさがでるのか。かめさんはしらなかったのです。
それなのに、ぼくにおこって、『ぜったいにかってやる』と、いきなり全力をだしてしまったのです。
いえ、ただしくは、ぼくがそのように『しむけた』のですが……。そして、これが──」
うさぎさんは目のまえをさしました。
「その結果なのです」
スタートのすぐまえのじめんが、ながくふかく、えぐれています。
そのすぐさきにあった大きないわが、こなごなにわれていました。
そのまたさきにたくさん立っていた大きな木が、ぜんぶおれて、たおれています。
ジェットエンジンを全力で回したかめさんは、そのパワーを制御できませんでした。
おなかでじめんをけずり、あたまでいわをわって、木をおりました。
そして、そのままのいきおいで、ななめ上の空たかく、ずっととおくまで、とんでいってしまったのでした。
丘の上にさしたえだには、ふれることすらできずに──
「ぼくも、はんせいしなければなりません。きのう、かめさんにいった『かめさんは、おそいね』ということばが、げんいんなのですから」
うさぎさんは、かなしそうに、いいました。
「うさぎさん、うさぎさん、もしも、かめさんがかえったきたら、どうしますか?」
きつねさんが、いいました。
「もういちど、きちんと、あやまろうとおもいます。それから、かめさんをあんなからだにしたヤツが、だれなのかを、ききます」
うさぎさんは、目を、とおくにやりながら、つぶやくようにいいました。
「もしかしたら、これが、なにかわるいことの、はじまりなのかもしれません…………」
【おわり】
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