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【短編】レールの上に石を置く夏

 太陽の下、山の蝉が無数に鳴いていた。
 夏美は進入防止用の金網をめくり上げて、中に入っていった。
 サンダルがざくざくと砂利を踏む。薄い桃色のワンピースから出た腕の先には、小ぶりの石が握られている。
 俺と直人は金網の外で、彼女の背中を見ている。
 夏美の向こうにはもう一枚、水色の金網が延々と横に伸びている。その先には森がある。濃い緑のせいで夏美の首筋や足が、より一層白く見えた。
 線路のそばまで来たとき、夏美は振り向いた。薄い唇がきゅっと上がる。俺たちに微笑んだのだ。
 それから彼女は、レールの上に石を置いた。
 踵を返して戻ってくる。いたずらをした子供のように手を後ろに回して。微笑みを残したまま。
 俺と直人はふたりで金網を上げて、彼女を迎えた。
 金網と俺たちの間を抜けてきた夏美は、笑ったまま言った。
「今日は、どうなるかな」
 

 俺と夏美と直人は、小5からの幼馴染だった。
 俺と直人は、夏美が好きだった。
 いつ好きになったのかはわからない。気づいたら好きになっていた。
 でも俺たちには友情と、バスケがあった。身長は奴の方が高いが、ジャンプ力は俺の方が上だ。ずっとライバルで親友だった。
 バスケと友情の間に夏美を挟むことを、俺たちは避けた。バスケも友情も恋心も、全部壊れてしまいそうな気がした。
 夏美はそんな俺たちの間を行ったりきたりした。先週はあっちに優しくしているかと思えば、今週は俺に話しかけてくる。間に挟まれているのを楽しんでいるようにも見えた。


 同じ高校に行くものとばかり思っていた。
 でも、夏美は来なかった。
 それどころか高校にすら上がらなかった。
 でも理由を彼女に聞くことは何となく、できなかった。


 夏美はポケットからスマホを出して、時間を見る。
「もうすぐ来るね」
 俺たちはうん、あぁと短く返事をした。三人揃って両手で金網を握る。金網は夏の熱を持っていた。
 無言で、ふたつのものを交互に眺める。
 レールに置いた石と、列車が来る線路の先を。


 夏美のいない高校生活がはじまって一か月、急に彼女からメールが来た。
「三人で会わない?」とあった。
 駅前に呼び出された。夏美は少し痩せたようだった。
 会った途端、夏美は明るい声でこう言った。
「ねぇ、面白いことしない?」


 バスで20分の、小さな山に連れていかれた。
 俺たちの質問をはぐらかし、夏美は山道を登っていく。
 少し森に入りそこを抜けると、長い金網で守られた線路がまっすぐに伸びていた。
「ほら、ここ」と夏美は網を握って、持ち上げた。「留め具が外れてるんだよ」
 顔を見合わせる俺と直人を尻目に、彼女は中に入ってしまった。
 歩きながらかがんで、電車道から小石をつまみ上げた。
「これをさ」夏美は振り向いて、石を鈴のように振った。
「レールに置いたら、どうなると思う?」


「あ、来た」
 夏美が呟いた。
 田舎の二両編成、赤い車体が、青空の向こうからやってくる。
 夏美は右隣にいる直人の横顔を見てから、左にいる俺を見た。目が合った。
 彼女の肌は三か月前より白くなっていて、透けてしまいそうだった。

 
 最初の日から三ヶ月が経ち、夏が来た。
 毎週土曜、夏美はメールを送ってくる。
 翌週のバスケ部の練習がない日、早く終わる日を聞いてくる。
 俺たちは自転車に乗り、山へと向かう。するとバスで来たらしい夏美が待っていて、線路へと向かう。
 最初のうちはやめろよ、危ないぞ、と言った。直人などは大声で叱ったりもした。
 けれど彼女は微笑んで首を横に振るばかりで、やめようとはしなかった。
 それどころか彼女が拾い上げる石は徐々に大きく、固そうなものへと変わっていくのだった。


 電車が近づいてくる。
 靴の裏の地面が震える。足が揺れ、腰に振動を感じる。
 俺たちはレールの上の石から、目が離せなくなる。


 車輪に砕かれるのか、電車が去ったあとの線路には何も残っていない。
 でも一度だけ、跳ねた石が向かいの金網にぶつかったことがあった。あの時は三人とも、息が止まった。
 けどその直後、夏美だけがけらけら笑うのだった。

 
 鈍行の列車はゆっくりと確実に、石のある所に近づいていく。
 俺たちの数メートル先の、あのレールの上に。
 ガタンガタンという例の音が、夏の空気を通して耳の中に届く。

 その重い音の間を縫うように、
「なぁ、夏美」
 直人が小さく言った。
「なんで、こんなことするんだ」
「そうだよ」
 俺も聞いた。
「教えてくれよ、夏美」

 夏美は、石から目を離さなかった。
 すう、と鼻で大きく息を吸った。そして言った。
「──あの石で、列車がひっくり返るでしょ?」
 金網を掴む俺の手の甲に、冷たいものが乗った。
 夏美の手だった。
「それでね、私たちの方に突っ込んでくるの」
 もう一方の手は、直人の手を包んでいる。
「私たち三人一緒に、あの列車に潰されちゃうんだ」
 俺たちの日焼けした手を、真っ白で冷たい夏美の手が呑み込んだ。
「ねぇ……それってさ」

 素敵だと思わない?
 

 列車が、石の場所にさしかかる。
 いつもは鳴らない警笛が、山にピィーッと鳴り響いた。








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