「道義的責任」を思い出せ!─質問箱への回答
この文章は以下の質問に対する回答になります。長くなってしまったのでこちらに書きました。
ルンむかは質問箱を常に募集中です。ルンむかに対する個人攻撃から火種になりそうなネタまでなんでも送ってください。インターネットの珍生物として(を目指して)あなたの言葉に応答します。
私は「道義的責任」に基づき「不完全な世界」と戦っています。すべての消費者には道義的責任があります。私たちはお金を払って、何かしら自分のための買い物をします。その買い物のたびに起こっているのは、ある意志の表明でもあります。それは、「私は、これを買うにふさわしい人間です。世界にいまだ存在する様々な問題に対してお金を使う代わりに、自分が欲しいものにお金を使います」というものです。なぜなら私たちはこの世界にまだまだたくさんの問題があることを知っているし、私たちが今何かを買うために払ったお金がその問題のためにも有効に働くことを知っているからです。私たちはすでにこの二つのことを知っているので、どんな消費をしている時にもこの事実に対して自分がどういう態度をとるのか、という意志表示を避けることはできないのです。
これは別にフェアトレードのチョコを買えとかSHEINで服を買うなとかそういう話をしているわけではありません。もちろん例えば明治の普通のチョコ(別名・世界の社会的弱者いじめチョコ)を買うよりはフェアトレードのチョコを買うほうがずっとマシではあるでしょうが、サステナブルでSDGsなお題目を唱えれば飢えで死んでいく人を見捨ててよいということにはならないでしょう。そういう意味では私たちが罪悪感なく安心して消費を続けられるように仕組んだこれらの概念は悪質ともいえます。
また、私はあなたが毎日いろいろなことが大変で、様々な問題にさいなまれており、あなたが今買い物かごに入れたそれを買うことを避けることはできないことも知っています。そのような気持ちは私には否定できません。私だってそういうことははっきり言ってたくさんあるからです。風呂無しアパートに住む勇気すらありませんし、多少高くても世の中のあらゆる不正を差し置いてトマトを買ってしまうこともあります。はっきり言ってクズです。ですが、だからと言って私たちは世の中のあらゆる問題と目の前のトマトを天秤にかけることを避けて通ることはできません。世の中にはたくさんの問題があることを知っている以上、それに対してなんの態度も示さないということは理論上不可能だからです。
そして、ここからもう一飛躍あるのですが、この「道義的責任」は別に消費に限った話ではありません。消費は最もわかりやすい例ではありますが、私たちは、仕事をしている時も、遊んでいる時も、眠っている時も、24時間常に傍らに天秤を置いて生活しているのです。それは「今自分がやっていることをする代わりに、世界で起こっている問題に対して何か行動を起こすかどうか」、という天秤です。私たちは「いまだ完全ではない世界」に生まれてしまった以上、「道義的責任」から逃れることはできないのです。
ここまで読んだ方はなんとなく察しがついているでしょうが、私が「道義的責任」と呼ぶものは、突き詰めていけば罪悪感ということになるでしょう。私自身が「世の中にはお前より不幸せな人がたくさんいるんだよ」というお決まりの言葉をかなり素直に内面化して育ったというのがかなり大きいです。そういう意味ではどのくらい問題に対して行動していくかというのは個人の裁量に相当依存していますよね。
しかしそれでも、「今自分がやっていることをやるということは、世界で起こっている問題に対して何か行動を起こす代わりにこれをやっているんだ」という視点を忘れないことはかなり重要だと思います。こういう考えを忘れさえしなければ、「人間はタワマン(人間を見下ろすためだけに作られた、群生する都会のペニス)に住んではいけない」ということや「人間はグラスで作ったピラミッドにアルコール飲料を流し込んで遊んではいけない」ということくらい猿でも分かります。前回の週刊暴論でも触れたとおり、まぁ個人差はあるでしょうが、お金を払って女の人の乳首を噛んでいる場合でもないような気がします。
それからもし物知りがこれを読んでいたら私の言う「道義的責任」という概念が人文学的には何と呼ばれているのか教えてほしいです。前私がTwitterで「PayPayで区内の中小企業の買い物だけ割引、とかできるんだったら、「ここまではみんな必要なライン」みたいな買い物だけすっごい安く買えるようにしろよ、家電とかも一番安いラインナップだけ一世帯一個限定でめちゃ安くするとか!」つって騒いでたら、後々日米以外の結構な国ではそれが「付加価値税」という形でなんとなく実装されていることを知りました。こんな感じで大体私が自分で思いついたと思ってても大抵何十年前から名前がついているんですね。誰か知っていたら教えてください。レヴィナスの言う「応答の不可避性」という代物あたりが近いとはなんとなく思っているのですが。
追記:
https://www.youtube.com/watch?v=LENHP8R2c2c
これの6:50~とか観た時はかなり「道義的責任」と思いました。軽くショッキングな映像ですが見て傷ついて「道義的責任」を思い出してください。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?