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”キャンセルカルチャー”について─質問箱への回答

この文章は以下の質問に対する回答になります。
ルンむかは質問箱を常に募集中です。ルンむかに対する個人攻撃から火種になりそうなネタまでなんでも送ってください。ほとばしる熱いパトスであなたの言葉に応答します。

ルンむかpeingより


具体的にどの件のことを言ってるのかは分かりませんが、一般的なことを言うと、僕は表現規制に当たらないと思います。たとえばあの献血ポスターだって、企業の方には、炎上しても貼り続けるという選択肢はある訳なので、そこに法的な強制力はないはずです。それでも鉄道会社があれを剥がしたのは何故かといえば、「一部の変な人」が騒いだからではなく、世の中の多くの人があの炎上騒ぎを見て、「たしかにこれはやりすぎだ」と思うことになったら、企業イメージを損なう恐れがあったからです。

だから私はそういう炎上は、普段何気なく過ごしていたらスルーしてしまっていたかもしれない何かを、改めて「こういう視点から見たら問題があるんじゃないですか」ということを世の中に訴える機会になるんじゃないかと思っています。世の中が「確かにその通りだ」となって始めて「キャンセルカルチャー」は成立しますからね。「問題なんか無い!デカパイポスターを駅に貼ることには社会的意義があるんだッ!」という人はちゃんとそうやって世間に訴えれば良いわけです。それが認められたら、もう一度宇崎ちゃんが献血ポスターに返り咲くこともあるでしょう。

もちろんこの仕組みには沢山の問題点があります。たとえば所詮多数派の物差しで決まるという点です。しかし普段から世の中の制度そのもの等には関心を向けず、多数派としてマイノリティを圧殺することに加担しているような人でも、「これはマイノリティに対する不当な扱いだ」と面と向かって言われれば、そこで初めて改めて考えて、「そうかもしれない」と思う人も多いわけですよね。他にも、誹謗中傷で著名人が自殺に追い込まれるという事件も度々起こりますし、民衆に判断を委ねて本当にいいのか?という懸念もあると思います。

だからこそ教育は本当に大切です。最終的民衆にゴーサインが委ねられている体制では、どれだけ民衆を上手く丸め込めるかの勝負になってしまいがちです。そこで一部の人間に都合の良い状態や、逆に一部の人間に過剰に不利な状態を作らないためには、万人が万人に対して丸め込み合えるようになるしかないと思います。そうやって徹底的に話し合って、仮想通貨のブロックチェーン(取引の計算を全員でかわりばんこにやっていくための仕組み。誰かが自分に都合が良いように計算しても、他の人がそれを認めず、計算を引き継いでいかなかったらその計算は無効化される。)のように、皆で大きな流れを作っていくしかないんです。

あくまで民主主義という理想をこれからも掲げていくためにも、一人一人がそもそも「正しさ」とはなんなのか?とか、あるべき政治の姿とは?とか、そもそも、あるべき政治の姿を目指すべきなのか?とか、万人にとっての幸福は何か?とか、本当に「幸福」を目指せば良いのか?とか、どれだけ長い時間がかかったとしても話し合えるようになるしかないと思います。そういうことを自分以外の誰かにとって都合の良い方向に流されずに、考え抜く力をたくさんの人が持てるように、教育の仕組みを考える必要があると思います。

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