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人類みな兄弟 vol.1

1.父について

今回は父について書こうと思う。頑固なところもあるが、いつも陽気で、いつも何かに熱中していて、いつも何か楽しい事はないかとアンテナをはって生きている。そんな風に見える父。

「お父さんが年取ってひとりになってしまったら、バイクでお前たち子どもの所ば周る。ボケたらいかんけんGPSを埋め込んでくれろ。

なんて事を言うのも、子どもが納得できてしまうぐらい、とにかく少年の心を持ったまま大人になった人である。

子どもからすれば、もうすぐ古希を迎える人間が一体何歳でバイクにまたがり、日本中を駆け回る気なのだと、一抹の不安は拭えないのだが、気持ちに元気があるのは何よりも嬉しい事だ。

父は、6人兄弟の離れた末っ子だった為、大学で東京に出るも、夢半ばで地元に戻り家業を継ぐ事になった。

したかった留学、金髪の奥さん、海外永住も残念ながら叶わなかった。
こんな話をしているとき、母はといえば

「あーはいはい」

である。

一見冷めた夫婦関係のように読めてしまうが、私は小さい頃から、父の冗談か本気かわからない本気VS母のあーはいはいの構図に一種の愛情を感じ、大好きなのである。

2.海外旅行が好き

海外移住を夢見ていた父。
住めぬとしても、行きたいという気持ちは常にあるのだと思う。だからといって行きたい時に気軽に行けるお金があるわけではないので、父はネットオークションなどでお小遣いを稼いだりして、十数年に一度、海外旅行に行くことがある。

とはいえ、できるだけ長い期間旅をしたい。そうなると短期贅沢旅よりも長期倹約旅を採用なのである。

格安チケットを探し当て、レンタカーを借りて、ルートは決めるが宿は現地で。という、かつてのテレビ番組、電波少年を彷彿とさせる格安フリーツアーを敢行するのである。

私も大学生の頃、そのうちの1回に同行したことがあるのだが、これがむちゃくちゃ楽しかった。
あの旅を体験すると、今後ツアー旅行に行ける気がしないほど、クセになってしまうのがわかる。

そして、その海外旅行での父を見て、タイトルにも掲げた「人類みな兄弟」。
よく聞く嘘みたいな言葉が、本当に一理あるかもしれないと感じずにはいられなかったのである。

3.伝える気があれば伝わる

その旅行日程は確か2週間ほどだった。
父はそれ以上を望んだが、卒業単位の為に私だけがひとりで帰国する事を母が反対し、父は渋々同行帰国したのである。

このnoteに関して確認した返信にもはっきりと
その事が悔しい
と書かれていた。

20年経った今も消えぬ悔い。
とても申し訳ない事をした。とも思うが、いつまで言うんだ。とも思う(笑)。

父と私、父の友人夫妻と4人での旅。この時母は店のことや飼っていた犬の世話があり、来なかったのだと思う。
一緒に行きたかったなぁと今だに考えることがある。

台湾でのトランジットをはさみ、ドイツに降り立ったあと、2週間をかけてイタリア方面へ向かう旅だった。

この時の細かい旅行記もいつか書いてみたいが、今回は父にフォーカスした場面をピックアップしたい。

-----オーストリア、メルクにて-----

レンタカーを借りて、アウトバーン(高速)を走る旅だった。確か父は、アウトバーンのルートと、絶対に見ておきたい場所だけを綿密に調べていて、あとはそこへ向かって走り、途中、気が向いた街でおりて観光し、その街の安いゲストハウスを探して泊まる。という段取りだった。

私が同行したのにはいくつか訳があるが、当時専攻していたドイツ語がどこまで通じるのかという力試しの意図もあった。
よって、通訳兼宿探し担当に任命されていた。

ドイツで過ごした後の数日目のオーストリア。
メルクという街で、ロッジごとに泊まれる安宿を見つけることが出来たのだが、そこでの出来事。

その日の夕飯の際、隣の席でライダーらしき団体が食事をしていた。
詳細は忘れてしまったが、ひょんなタイミングで、私たちにお酒を奢ってくれたのだ。ドイツでよく飲まれているシュナップスだった。

シュナップス(ドイツ語: Schnaps)は、ドイツなどで飲まれている無色透明でアルコール度数が高い蒸留酒の総称。味、香りのないものから、フルーツやハーブで味、香り付けをしたものなど、様々な種類がある。
ビールを飲む合間にお腹を温めるためにチェイサーとして飲んだり、酔いを回すために一気に飲み干すような飲み方で飲まれる。

引用元:Wikipedia

私は当時あまり飲めなかったのだが、ショットグラス一杯をいっきに飲み干した。

父も友人夫妻も、彼らの好意をありがたく頂戴し、みんなでヘロヘロになった。

翌朝、バイクが大好きな父はライダーたちが出発の準備をするのを見つけて、一目散にロッジを出て行った。

このロッジは二階建てだったので、私も手を振って見送ろうと二階の窓からその様子を見下ろしていた。

ライダーたちのバイクは何ccかもわからない、応接間の椅子のようだった。二階から表情は見えないはずなのに、父の目は爛々らんらんと輝いているのが手に取るように分かった。

あれやコレやとバイクへの質問をしている父。
それについて説明するライダー。
会話のキャッチボールが、いつまでたっても途切れない。

それを見ている私の目は点だった。
……それはそれはもう、点々だった。

なぜならば、長崎弁とドイツ語で会話をしていたからである。

そんな事が可能なのか。通訳の私の立場は。
言語ってなんだ、もしかしてこの世は何語であっても通じる世界でないのか。

"会話が成り立っていたはずがない"

そう思う人も多いだろう。

たくさんのライダーたちが、けたたましいエンジン音を鳴らしながら去っていくのを見送った後、
彼とメールアドレスを交換したと言って父が戻ってきた。

なぜか、むちゃくちゃカッコいいと思った。


----つづく----

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