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きときとのさかな。

富山を訪ねたのはその一度だけだ。
もう20年前ものこと。
友達の女の子とふたり。
彼女の運転する車で。

「私たち、テルマ&ルイーズみたい!」

ロードムービーを気取って、咥え煙草でハンドルを切る。
缶珈琲は無糖、BGMはラヴァーズロック。
明るく染めた髪をなびかせて、高速道路をびゅんびゅん飛ばす彼女は最高に頼もしい。


富山に行ってみようと思ったのは、
「そこに佐伯さんが居る。」からだ。

当時、私は地元のレコードショップに勤めていた。
そういう仕事ってかっこいいなと思っていたし、学歴のない私が引け目を感じることもなく働けることが嬉しかった。
なによりも、大好きな音楽の中で一日を過ごすのだ。
それって贅沢で、刺激的で。
でも慣れてくると、遅刻とさぼりを繰り返すだめな社員だった。


その日は、全国のレコード店が集まる名古屋での合同セール。
私が働いていたお店も出店していた。
音楽雑誌にも広告を載せ、開催日にはたくさんの音楽愛好家が日本中から集まってくる一大イベント。
売る側である私にとっても、その日は特別。
休憩時間には各地のお店が持ってきたレコードに目を通すことができるし、地方のお店ではどのジャンルが売れているのか、どう売っているのか、仕入れ方や、海外買い付けの話、音楽に財産も人生も捧げてしまったかのような、個性的な同業者たちから話を聞けることが楽しかった。


そのセール間近になって、用意していたレコードにインパクトがない、これでは売れない、とオーナーからチェックが入ってしまった。
でも今から何をどうしたらよいのか。持っていくレコードはこれしかないのだし、中古の名盤なんて、そうそう仕入れることもできない。
日頃から仕事に対してさぼり気味の私は、あー、面倒だなー、とうなだれた。
でもそれでは許されない大人社会、当然だけど。
普段使わない右脳を奮い起こす。

イラストが得意なスタッフが逸脱なポップを作り、ジャンル別にコーナーを目立たせた。
絵心のない私はというと。
出品するレコード一枚一枚にコメントをつけた。
付け焼刃。
目を覆いたくなるような駄文しか浮かんでこない自分に開き直った。

音楽通なら誰もが敬意を払うニール・ヤングの名盤に。
「ヤングってば、いくつになってもヤングなんだからぁ♡」

グラムロックの代名詞。T.REXの代表作に。
「安達祐実の映画じゃないほうのREX」

同類のコメントを、名盤、レア盤、廃盤、100枚以上のレコードにつけた。
私の右脳はこんなふうにしか稼働しないらしい。
我ながら、これでお給料貰ってることが奇跡だ、と思った。
そして、そんな私の仕事をまるまる見逃してくれたオーナーには感謝しかない。

そうやって迎えたセール当日。
それぞれのお店の設置も済み、いよいよ開場。
列を作って待っていた人たちは、小走りで我先にと目当てのレコードを探す。
田舎だけれど老舗のレコード店であるうちのコーナーにも人が集まってきた。
その場所だけ、静かにざわめいている。
レア盤や名盤の高価な値段と陳腐な私のコメントを二度見、三度見する人たち。
音楽ファンの皆様、ご立腹だろうか。
クレームがきたらどうしよう。

だけどしばらくすると。
たくさんの人がレコードを一枚一枚、手に取ってくれていた。
笑ったり、呆れたりしながらも、レジの前にはそのコメント付きのレコードを持った人たちが並んでいる。
信じられないことに。

その時、レジを担当していたのが佐伯さんだった。
お客さんが買うレコードの値段をレジに打ち込むたびに、コメントを読み上げて大笑いしている。
挙句、「誰かレジ変わって!僕、このお店のレコードが見たい!コメント、全部読みたい!」
そう言って、レジを立って行ってしまった。

「残ってたコメント付きのレコード、全部見てきた!」と子供みたいな笑顔で戻ってきた彼は、それを誰が書いたのかをすでに突き止めていた。

「きみは天才だ!」
佐伯さんは私を見つけてそう言った。
「恐縮です。」と私は照れた。

それが最初だった。

佐伯さんはものすごく大きな声で話す。
それなのに、どうやらとてもシャイだ。

私にいろいろな質問を投げかけ、熱心に耳を傾ける。
うんうん、そうなんだ、面白いね、最高だね、と称賛してくれるけれど。
答える私と目が合わないように、佐伯さんは目を閉じたり、空を仰いだ。
でも。
ぐっと近づいて相手を知ろうとする人だった。
その距離感が面白くて、私は佐伯さんのことを好きだな、と思った。

ある日、「車でどこか旅行しない?」と友達に誘われた。
遠くでもいいよ。一泊くらいしたいよね。とドライブ好きな彼女が言う。
私は迷わず富山を提案した。
そこに、佐伯さんがいるからだ。
目を閉じて、私を天才だと肯定してくれた佐伯さん。

週末、私と友達は富山で過ごした。
佐伯さんが経営しているレコードショップに向かう。
待っていてくれた彼は、良く来たね!と大きな声で歓迎してくれた。
雑多な店内には宝物が隠されている感じがしてわくわくする。

オーナーである佐伯さんは、自分のお勧めのレコードを、やっぱり私とは微妙に目が合わないように宙を仰ぎながら、何枚も視聴させてくれる。
「これいいですね!買います!」と言うと、
「いいよ!あげる!せっかく富山まで来てくれたんだから!」
にこにこと嬉しそうな佐伯さん。
アルバイトの男の子はそんな佐伯さんに呆れていたれど、それでもそのレコードを丁寧にビニールに入れて、笑顔でプレゼントしてくれた。


「富山の美味しいものを食べてもらいたい。」
その夜は佐伯さんが魚料理のお店に案内してくれた。
予約されていた席は二階のお座敷。
美しくて、物腰の柔らかな女将さんが通してくれた。
最初のお飲み物はどうされますか?と聞かれたので、生ビールありますか?
と尋ねたら、女将さんは本当に申し訳なさそうに、
「一階にしかサーバーがないので、こちらのお席までお運びさせていただきますと、その間に美味しい泡が少なくなってしまうんです。大変心苦しいのですが、それでもよろしいでしょうか?」

まったくかまいませんよ。と佐伯さんが笑顔で答えてみんなの分の生ビールを注文した。
美しい女将さんは、「かしこまりました。でも、できるだけ泡が消えないようにさせていただきますね。」と、すーっと階段を降りていき、そしてトントントン、と子気味良く階段を上って、美味しい生ビールを運んできてくれた。
私たちはその女将さんの配慮に感謝して、はい!せーの!乾杯!と勢いよく飲みほす。

冷やされたグラスに、丁寧に注がれたそれは。
エビスの美味しい生ビール。
しっとりと鎮座するクリームの泡。
お盆に載せたその生ビールを、しなやかに、駿足に二階まで運んできた、
くのいちみたいな美しい女将さん。

あぁ、富山に来てよかった。
佐伯さんを訪ねてよかった。


お刺身、酢の物、焼き物、揚げ物。
「お魚、本当においしいですね。」と言う私に。

「富山の魚はきときとだからねぇ。」
佐伯さんは満足そうに、眼を閉じて答える。

「きときとってなんですか?」

「きときとって、新鮮って意味だよ。富山ではそういうんだ。」

ふうん。きときとって言うんだ。
きときと。
可愛い響き。

そのあと、ジントニックを飲みたいという私のためにバーに移った。
ジントニックなんて簡単な飲み物だよ。でも、美味しいトニックでないとね。と、佐伯さんは一件のバーに案内してくれた。
「僕のお店の常連さんがマスターなんだけど、音楽のセンスも、酒のセンスもいいんだよ。でも彼がモテると腹が立つんだよなぁ。」



居心地の良いロックが流れている。
佐伯さんが来てくれたんだから、CDじゃなくてやっぱりアナログ聴きましょう。
佐伯さんのお店で買ったというレコードを、マスターがターンテーブルに乗せる。
「あぁ、いいね、レコードの音はやっぱり違う。」
佐伯さんは体を揺らしながら、気持ちよさそうに酔っていた。

大人って楽しい。
友達は私にそっと耳打ちする。
「ねぇ、なんかさ。これって最高なロードムービーだよね。」

簡単だけど、きりりと美味しいジントニックを、私たちは明け方になるまで飲んだ。

佐伯さんとマスターに、たくさんのお礼とさよならを言って。
私と友達は、近くのラブホテルに泊まった。
ふらふらに酔ってたけど、なぜだかふたりで泡風呂に入った。
そしてアダルトビデオを流しっぱなしにして眠った。
女優の喘ぎ声が深い眠りの中に紛れ込んできて奇妙な夢を見た。
数時間後に目が覚めたらひどい二日酔いだった。

そんなふうにしてテルマ&ルイーズの富山旅行は終わった。

富山での夜、佐伯さんと私はメールアドレスを交換した。
私が住む場所と、佐伯さんが住む富山には距離がある。
だからまた会うことはもうそうそうない。
その距離が私たちを素直にさせたのだと思う。
いつからか、頻繁にメールを送り合うようになった。

その時に聴いていた音楽や、観た映画の感想だとか。
最初はあたりさわりのない、ちょっとした情報交換のようなものだった。

でも少しずつ。
簡単には話せない、本当は隠していたいはずのことも、互いに書き出していくようになる。
私たちは似ているところがあった。
危うくて、脆かった。
何かに夢中になると、没頭して取り返しがつかないところまで走ってしまう。

私には内面に抱えている問題が多かった。
願う幸せが目の前にやってくると、それをいつか失ってしまうことのほうが怖くなって、誰かを傷つけてでも逃げ出してしまう。

弱さや醜さ、抱えてしまった苦しさにもがいていた。
沸々とした自分の中の熱が、まるで水面を膨張させるように言葉になってこみ上げてくる。

ひりひりと腫れた傷にそっと手をあてて庇うように、佐伯さんは私の言葉のひとつひとつに返事をくれた。



佐伯さんは私を「ドナ」と呼ぶ。
私のこれまでの半生はその名前と共にある。

インターネットを使うときには、ハンドルネームがいるんだよ、とパソコンを買ったばかりの私に教えてくれた人がいた。
どうやら、インターネットに本名を表記することはよろしくないらしい。
そういうものなのか、と自分のハンドルネームを考えた。
私は海外ドラマが大好きで、その当時は特に「ビバリーヒルズ青春白書」に夢中だった。
土曜の放送日には、それがたとえ奢りであろうとも、どんな誘いも断って、テレビの前に待機した。
そのドラマには個性的なメンバーが揃っているのだけれど、とりわけ私の好きな登場人物の役名が「ドナ」だった。
お金持ちのお嬢様で、友達想い。みんなに愛されているドナ。
自分とはあまりにもかけ離れすぎているキャラクターの「ドナ」をハンドルネームに決めた。好きなんだからいいじゃないか。
インターネット初心者だった私は、ハンドルネームのことをまだよく理解していなくて、仕事で知り合った人とのメールにまで、ドナです。お疲れ様です。と書き始め、それではよろしくお願いします。ドナ。と締めくくった。
それは間違ってるよ、とすぐに教えてもらえたのだけれど。
不思議なことに、誰からも茶化されたりすることもなく、その名前は受け入れられて、私はドナと呼ばれるようになった。





佐伯さんとのメールが続くことはなかった。
赤裸々に、さらけ出すように書き合った告白も。
ロマンティックな想い出話も。
お守りのような言葉も、真面目な仕事の話も。

繋がっていた糸を、私がぷつりと切ってしまった。
もう、糸電話は圏外のままだ。

私はいつからか、一日中落ち込むようになり、水の中に沈み込んだように
じくじくと湿った気持ちで過ごした。
起き上がることすら苦痛で、空想の世界でしか自由に動けない。
パソコンに触れることもなくなった。
キーボードに埃が積もっていく。
仕事も辞めてしまった。
罪悪感という三つの漢字を見るだけでぞっとして震えてしまう。
佐伯さんに何も伝えないまま、私はメールアカウントを削除した。

救ってもらいたいはずなのに、このまま一人で消えてしまいたいと思う。
二つの気持ちに葛藤する気力もなく、私はただ浅く息を吐き、
ぽたぽたと落ちる涙を虚しく睨んだ。

当時の恋人と暮らしていた家を出た。
携帯電話も解約した。
持っていたレコードや本、母が遺した家財道具も、すべて処分した。
佐伯さんがプレゼントしてくれたレコードも。
もう、何も残っていない。

お世話になった人にも行先を伝えず、住み慣れた町を離れる。
私は叔母の勧めで、一人暮らしをしている名古屋の祖母の家に
居候させてもらうことになった。
痴呆とアルコール依存症の祖母は、「お前、なんか憑いとるのか?」と
青白い顔で現れた孫に、粗塩を袋ごと撒いて歓迎してくれた。
祖母流の荒っぽいお清めだ。

そんな祖母だったけれど、私たちの二人暮らしは穏やかだった。
うつ、という病気の存在すら知らない祖母は、限りなく私を放っておいてくれたし、誰に急かされたりもせず、ただただ一日三食、毎食祖母とお酒を|飲み、近くのアピタで買ってきたたこ焼きをおやつにして、これでもかというほど二人でビールを飲んだ。

通院することも、薬を飲むこともなく、私は自分を取り戻していく。
アルバイトも始めた。
新しい友達もできた。
だけど、地元の人に連絡をする気持ちにはなれなかった。
振り返ることができない。
今までの日々を消去できないことは知ってる。
でもまだ、当たり前のように、「元気にしてた?」と再生ボタンを押せないのだ。

思い立って、一か月の一人旅をした。
治安がよい国を探して見つけた旅先はニューカレドニア。
その小さな南の島で過ごした時間は、なんだかご褒美みたいで。
不思議だけれど、どこか懐かしい、郷愁のようなものを感じた。
帰りたくないな、ずっとここにいられたらどんなに素敵だろう。
すると、まるで魔法みたいに、滞在中に出会った人から仕事を紹介してもらえることになった。
私は移住を決めた。
生まれ変われそうな気がした。殻を割って、新しい世界に飛び込むような。
うずうずして、わくわくして。
想うだけで胸がいっぱいになった。


「好きなように生きなさい。自分で決めたんだから。
 なにがあっても、なにくそー、って頑張るんだよ。」
最初は驚いて、南の島への一人移住に心配していた祖母と叔母だったけれど。
今のあなたならできるかもしれないね、と見送ってくれた。

移住生活は甘くなかった。
紹介してもらった仕事を続けることができなかった。
ふっと、暗い気持ちが顔を出す。
だけど、私は大丈夫だった。
水の底に沈み込む様に落ち込むこともなく、小さな黒い犬を飼い、いくつかの恋愛をした。




気がつくと。
過去を振り返ることが怖くなくなっていた。
懐かしい記憶のどれもが愛しい。
親しくしていた人たちの顔が浮かぶ。
みんな元気にしているだろうか。
ふいに消えた私のことを許してくれるだろうか。



佐伯さんに絵葉書を出してみよう、と思った。
もしかしたらもう、佐伯さんのお店は移転してるかもしれないし、閉店しているかもしれないけど。

あなたに見せたい景色があるから。
この美しい島の絵葉書を送ろう。

お久しぶりです。お元気ですか?
私は一人でニューカレドニアに移住しました。
いつかこの島に遊びに来てください。
その時は海沿いのバーに案内します。
一緒に美味しいビールで乾杯しましょう。

               ドナより。

知人に勧められて、ミクシィを始めた。
もう殆どの友人はすでにアカウントを持っているようだから、みんなが私を見つけてくれたらいいな、とアカウント名をドナにした。
びっくりしたけれど、その名前で私を見つけてくれた人が何人もいた。
またみんなと交流できることが嬉しかった。
何も言わずに消えた私に、そのことがずっとわだかまっていた、許せなかったと打ち明けてくれた人もいた。
私は時間をかけて謝罪した。


だけど。
ミクシィの中に佐伯さんはいなかった。

それから4年。
移住生活にも慣れてきた頃。
私は日本に一時帰国した。
移住してから、初めての帰国。
ミクシィで再会することができた大阪の友人と待ち合わせをして、一緒に京都や奈良を散策した。
彼もレコードショップを経営している。
以前は私も仕事で一緒になることが何度か会って、そこから親しくなった。連絡をすることもなく消えた私に、寛容に笑顔で迎えてくれた彼の優しさに感謝しながら、大きすぎる奈良の大仏様を見上げた。


途中。
あぁ、そうだ。ドナに言わなくちゃいけないことがあるんだ。と彼が佐伯さんの話を始めた。

「ドナ、佐伯くんに葉書を送ったんだってね。前に彼が言ってた。
 ドナは佐伯くんとよくメールをしてたよね。
 内容は僕に教えてくれないけど、彼はそれがとても嬉しかったみたいで、
 会うたびにそのことを自慢されたよ。
 でも何年も前から、彼はインターネットをやめたんだ。
 業界のみんながSNSに彼を誘っても、頑なに断るし。
 メールでの業務連絡もスタッフの子に任せてね。
 今は誰も彼と連絡が取れないけど。
 でもずっと。
 ドナに絵葉書の返事ができない、って気にしてたよ。」

あの絵葉書はちゃんと富山の佐伯さんに届いていた。
白やぎさん、食べずにちゃんと届けてくれた。

「べつに返事はいらないの。あの葉書が、ちゃんと佐伯さんの
 ところに届いていたなら、それでいいんです。」
 
絵葉書を送ったんだね。と言われたことが照れくさかった。  
本当は佐伯さんから返事が欲しかったし、また前みたいにメールを送り合うことができたら、と新しいメールアドレスを葉書の最後に書き添えていた。
全部見透かされているような気がして。
大人げない私は、素っ気なく答えてしまう。


そうなんだ。佐伯さんはインターネットをやめたんだ。
まるであの日の私みたいだ。
もう、あんなふうにメールをあなたに書くこともない。
あなたが私に書くこともない。
胸がちくちくした。

一時帰国の時間はあっという間に過ぎていく。
母と祖父のお墓参りをして、夜には祖母と、お腹がたぷたぷに波打つくらいまでビールを飲んだ。孫が帰ってきたぞー、酒がうまいぞー、と喜ぶ祖母は
酔っていて鼻の頭が赤い。その赤らみが愛しかった。
叔母は私にお小遣いをくれた。
久しぶりに会う友人たちと、何軒もはしごして朝まで過ごした。
会えない時間が友情育てるね、と笑い合った。
何度か佐伯さんのことを想った。
想うとやっぱり寂しくなった。

ニューカレドニアに戻り、しばらく経ってから。
佐伯さんのもとに絵葉書が届いていたことを教えてくれた大阪の友人からメールが届いた。

佐伯さんがくも膜下出血で亡くなった、とそこには書いてあった。

倒れた時、息子さんはタイで放浪の旅をしてたんだよ。
でも連絡がとれてすぐに帰国できたから、佐伯くんの最後に立ち会えた。
奥さんも気丈に付き添っていました。
実はドナが日本に来る直前に佐伯くんは倒れたのだけれど。
ごめんね、滞在中の君に知らせることは僕にはできませんでした。

「ドナ、僕はレコード業界で、まだ誰もしていないことを始めようと思う。この世界はこれからが面白いんだよ。」


「ドナ、僕はこの前。みんなの反対を押し切って、セレクターでレゲエのシングル盤を富山の商店街にフルボリュームで鳴らしたよ。爽快でした。小さな子供が腰を振って踊ってたよ。やっぱりレゲエは腰です。」


「ドナ、今日は僕が人生で一番夢中になった女の子の話を聞いてほしい。」


「ドナ、男という生き物は獣です。だけどとても脆いです。」


「ジャマイカのクラブで女の子と腰をくっつけて激しく踊りました。とても気持ちいいんです。でも日本でそれをすると、みんな逃げていくんだよ。悲しいなぁ。いつかドナともそんなふうに踊りたい。
でもドナもやっぱり逃げていくんだろうなぁ。」


「ドナ、きみの名前はとても良い。響きが良い。形が良い。呼んだだけで優しい気持ちになる。ドナがおばあちゃんになっても、僕はきみをドナと呼んで、きみを慕うよ。」


「ドナ、僕には息子がいます。僕はだめな親父です。でもぼ僕は息子のためならなんでもできるような気がします。息子は僕をだめな親父だと責めますが。ドナ、子を持つと人は親になります。当たり前のことですがこれってすごいことだと思いませんか?」


「ドナ、きみはいつか遠くに行ってしまうような気がします。だけど僕は追いかけません。
大丈夫。また繋がれるから。でももしも助けが必要なときはぼくを探してください。すぐに飛んでいきます。お金が無くて困ったら。それも僕がなんとかします。きみのためにできることは、僕にはそれくらいしかないのだから。」


「ドナが母となる日はいつでしょう。僕はその日。お祝いを持ってドナと赤ちゃんに会いに行きます。ドナは嫌がるかもしれませんが。
 でも僕は。きみから産まれてきたかったなぁ。」

ねぇ。
佐伯さん。
絵葉書。
届いて本当に良かった。
あなたに見せたい景色。
ちゃんと見せることができた。
切手を貼るとき、祈ったんだよ。
「いつかこの景色を抱きしめに来てね。」って。
美味しいきときとの魚を想い出していたよ。
佐伯さんに、あの時のありがとうを伝えたくて。
ときどき、忘れちゃうんだけどね。
とけとけ、だったかな。
ちきちき、だったかも、って。

ねぇ。
佐伯さん。


大きな月が海を照らすたびに。
私はあなたを想います。
佐伯さんが送ってくれた、たくさんの言葉たちは。
眩しすぎずに、優しく光って私を照らす。


佐伯さん。
あなたの6年後の命日に。
ニューカレドニアでね。
女の子と男の子の、小さな双子の赤ちゃんが産まれました。
私の愛しい子供たちです。

佐伯さん。
私は子を産み、人の親になりました。
天涯孤独のあなたに家族ができた、と叔母は泣いて祝福してくれました。

子を持つと人は親になります。
こんなあたりまえのことが、本当はあたりまえではなく、奇跡なのだと知りました。
その新しい命はきらきらと眩しく、神秘的で尊いです。
だけど、まだまだ危なっかしくて、私は命を懸けて守っていかなければなりません。

佐伯さん。
あぁ、この幸福を言葉にして、昔みたいにメールを送信できたなら。
あなたはどんな返信をしてくれるだろう。


私は目を閉じて。
切れてしまった糸を手繰り寄せる。
古い糸と新しい糸。
二本の糸を、柔らかく蝶々結びをしたならば。
その糸電話はあなたのもとまで、きっと私の言葉を繋げるでしょう。


                   親愛なる人へ。

                    心を込めて。

  
                       ドナ。

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