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戸村井。

架空の人物の弔辞を考えることが、戸村井の唯一の趣味だった。戸村井はこれまで、14,669人の弔辞をしたため、その全てを諳んじることができた。律儀にリストアップされたその弔辞が、戸村井以外の視線に晒されたことは未だかつて無い。戸村井はそのような歪んだ嗜好を隠匿することで、更なる快感を得ようとしていた。

その歪曲した趣味は、戸村井に一つの技能をもたらした。戸村井は、優れた小説家になった。何しろ、14,669人もの(もちろん現時点のことであって、そのリストは日を追う事に拡充されていく)一覧表から、登場人物を選べるのだ。プロットがどんなに平凡でも、人物描写の精緻さで戸村井の右に出るものはそうそういなかった。戸村井は片手間の執筆から得た資金を悠々と使いながら、唯一の趣味にその人生を捧げていた。

戸村井は今日も、誰かの弔辞を書き綴っている。それでいて善く生きている戸村井から、私たちは何かを学ぼうとしなくてはならない。

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