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一年間の引っ越し。

水抜栓が閉まっていることを確かめてから、給水栓を開く。二週間ばかり部屋を開けている間に、暦は齢を一つ重ね、街の積雪は空にほんの少しだけ近づいた。ドアを開き、電気を付ける。埃が光を反射する。空気がいささか停滞している。僕は窓を開いて、部屋と外の空気を接続する。振り返り、散乱した空き瓶を見る。僕は部屋を片付ける覚悟を決める。


「君が幸せなら、それで良いと思うよ」

僕はふと、自分が自分を突き放していることに気付いた。意志みたいなものは消えていて、僕なるものをパントマイムしていたことに気付いた。

「……幸せは振り返らないと見えない」

「何の台詞?」

あの部屋を片付けなければならない。僕はそう強く思った。


片付けには丸二日がかかった。ダンボールの一つ一つを折りたたみ、空き瓶の一本一本を袋につめた。一年間も生活をしたんだ。ドーナッツの穴みたいな生活でも、然るべき埃は溜まる。僕はそれから目を背けて(あるいは目をならして)いただけだ。

最後に残ったのは、ダンボールにハンカチを掛けた即席の机だった。僕はそれを一年間も使っていた。これを閉じる時、一年間の引越しが終わる。でも、今日の夕食までは、この机で食べようと思う。



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