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世界δ。

眠りは別世界への入り口だった。世界Aでくたくたになって眠りにつけば、世界Bへ。世界Bのこたつでうとうとと眠れば、世界Xへ。世界が二つならそれほど苦労はしなかったけれど、Cへ行ったりDへ行ったり、あるいはΣだったりAに揺り戻されたり、と。矢印は羽虫が掌から逃げ惑うみたいに常に変数的だった。

だから僕はずっと覚醒をしていた。肩凝りは酷くなる一方だし(回す度に巨人のげっぷみたいな音が、どの世界でも響いた)、斜視は反比例していった。(どうして、右眼の視力は良くなり続けるんだろう?)僕はどの世界でも、クリストファーノーランの映画を定期的に観て、そのようなパラレルな感覚を養っていった。世界Xの常識が世界Yの非常識であることは茶飯事だったし、もっと繊細な、例えば世界Bでした返信がAではされていなかったりとか、そういった微妙な軋轢の種を僕は一つ一つ解消していった。やりがいは勿論あるけれど、それは非常に疲弊する。転た寝が増え、その度に世界は移り変わる。でも、僕はその度に状況を整理して、うまくやっていかなければならない。

世界δにもう一度行きたい。でも、ユートピアも日常になってしまえば失われてしまうのかもしれないし、たった五分の間だけでも世界δに行けた記憶を慈しめるだけ、僕は幸せなのかも知れない。


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