とあるバンドマン

「俺は世界一のミュージシャンになる」

そう豪語し大学を卒業後、就職という魚群と離れ
晴れてバンドマンとなった。

---高校時代。
僕は校舎の3階から眺めるサッカー部をゴミを見るような眼差しで覗いていた。
机にはギュスターヴ・ル・ボンの群集心理と飲み慣れないコーヒー。覚えたてのワックスでキメた髪型はさながら孫悟空のようだった。
陽気なサッカー部の同級生達が外でチームメイトに合図をする声も耳から流れるレディオヘッドの音で優しく塞がれた。

--俺はあんなヤツらとは違う。

人生の中で自分があぶれていることに何故か高揚感と優越感を感じた。
自分がまるで世界の中心のように感じた。
その後、高校では恋愛する同級生のように愛を叫ぶことはなかったが中々に上出来な人生だと感じた。
このエピソードもカウントダウンTVに出れば笑い話としてウケるだろう。
ハードオフで買ったグラスルーツのギター。
覚えたてのコードを弾いた瞬間
「おれはミュージシャンになる」と決めた。

バンドサークルが活発だという事で亜細亜大学に入学。
大学では経済学部に入った。
授業は退屈そのもので学ぶ事など何も無かったが、代わりにサークルで飲み過ぎた女の子を持ち帰る。酔い過ぎた時いかに効率よくゲロを吐けるかという事を学んだ。
ゲロまみれになった居酒屋のトイレにふと映り込んだ自分を見て、俺ってロックスターみたいだな。なんて思っていた。

大学生活も就活の時期に差し掛かっていたが、夢は忘れる事は無かった。
サークルで組んだバンドのベース「浩人」とドラムの「大河」はバイトで食い繋ぎ、共に夢の武道館へと決意した。
ギターの「雄太」は仕事をしながらバンド活動を続けると言い、年収250万円の中小企業へ就職した。

俺は心底馬鹿にしていた。
くだらない社会の歯車になるより、自分の意思を誰かに届け感動してもらう。それこそが人生だろう。
しかも年収250万。
バンドの夢に保険をかけるような雄太に嫌気がさしたが自分の作った歌がそのストレスを解放してくれた。

--下北沢のライブハウスで自分達の曲を演奏する日々。
最初は楽しかったものの、徐々に冷たい現実が迫ってきた。

出ればファンは必ず着いてくる..。

しかし目の前には今日出場する他バンドのメンバー達がノリもせずに地蔵のように立っている光景しかなかった。
一見ファンのように見える人たちも全て他バンドの彼女や嫌々チケットを買わされた他バンドの友人だった。

ライブハウスもキャリアのないバンドなど当然出してくれず、出るには金が必要だった。
金を払って自分達の音楽を渋々調整しているPA達。
そう思うと何ともやるせない気持ちになった。


バンド3年目に入った時、ドラムの大河がふと言い出した。
--俺、バンド辞めて就職しようと思う。
スタジオ練習を始めスピーカーから大きな音を出した自分にもその声はよく聞こえた。

「は?何言ってんだよ。
バンドは?
今まで努力してきた活動は?」

普段意見を言わない大河から出た言葉に対して、自分達は怒号と質問を投げかけた。

「ふざけんじゃねえよ。いい加減にしろ。
ここまでやってきたのに何を今さら。馬鹿野郎。考え直せよ。俺たちなら出来るって。」

彼を元の道に戻そうとしたその言葉とは裏腹に、大河の目からは徐々に光が消えていった..。


--あれから5年。
いま自分は高円寺のボロアパートに住んでいる。
トップバリューで買った不味いウイスキーの殻瓶とサークルで覚えたタバコとその吸い殻。
夏の風物詩になったゴキブリにも慣れ今は蟻のように殺せている。

あの後、バンドは他バンドのドラマーを借り、彼につられて音楽性も変えた。
tictokに見られるような不埒なラブソングも書いたしコミックバンドのような恥ずかしい曲もやった。
次第に自分の曲を届けるというよりは誰かに聞いてほしいという目標へと移り変わった。
でも自らのエゴを振り撒き、肥溜めが溢れる如く書かれている曲など、誰も求めていなかった。

現在、メンバーの浩人は「泣かず飛ばずバンド大学」から中退しオートバックスの営業をしている。
最近は、営業成績が良く表彰された事をインスタに載せていた。
早々に船を降りた大河はITエンジニアとして働き今は職場で出会った彼女と同棲しているようだった。

雄太は途中から連絡が途絶え、友人からの又聞きでは250万の会社を辞め実家の岐阜へ戻り畑を耕しているそうだ。
彼が昔使っていたというfacebookを覗くと、そこには奥さんらしき人と、その間で抱き抱えられた赤ちゃんがいた。
彼らの投稿写真から見える笑顔は白熱電球の光のように目を劈いた。

いま自分は30才。
30歳ではない「30才」。

くだらない夢に人生を溶かした子供なのだ。
このまま引き返そうにも何のキャリアもない自分を雇う会社などない。

高校の時、自分が馬鹿にしていたサッカー部は持ち前の精神で企業で汗を流し、家族を育み、今や戸建ても建てているだろう。
彼らが労働という苦痛から生み出した無くならない財産を横目に1Kの部屋をふと眺める。

目の前にはあのグラスルーツとレディオヘッドのCDが落ちている--。







この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?