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車に乗りながら「セロリ」を聞いて考えたこと

山崎まさよしの「セロリ」は名曲だし、きっとほとんどの人が聞いたことあると思う。

今日、車のステレオからこの曲が流れてきて、元恋人のことを思い出した。

23歳くらい、付き合いたての私達はカラオケに行き、彼がこの曲を歌い、私は何度も聞いたことのあるこの曲の歌詞を初めて真剣に目で追った。

育ってきた環境が違うから好き嫌いはイナメナイ
夏がだめだったりセロリが好きだったりするのね
ましてや男と女だからすれちがいはしょうがない
妥協してみたり多くを求めたり なっちゃうね
がんばってみるよ やれるだけ
がんばってみてよ 少しだけ
なんだかんだ言っても つまりは 単純に
君のこと好きなのさ

この間にも素晴らしい歌詞が書かれているのだけど、とりあえず最初と最後の部分。

価値観が合わなくて、喧嘩したり、妥協して落ち込んだりすることもあるけど、

あなたと一緒にいたいから
もう少し頑張ってこの関係を続けてみよう。
頑張ろうよ。
そう思えるのは、好きって気持ちがあるからだよ。

そんな意味だと思い、私はとても良い!と歌い終わった彼に熱弁した。

共感したのだ。
どんな愛し合う二人も完璧に分かり合えるわけないし、むしろ違うとこがいっぱいで大変だけど、
努力しなきゃいけないことがある。

努力してでも続けたいって思えるのが、愛なんだなぁって。

でも、彼にはなんとそれが伝わらず、「そうなのかなー?努力しないと続けられないってなんか嫌だな」
と言われてしまいました。

その時は付き合いたてのほやほやで、なんなら山崎まさよしの歌声よりあなたの歌声が好きっていうくらい脳内がお花畑の私だったので、
その回答にえーと思いつつも、そう気にも止めなかった。

確かにこの歌には

性格曲げてまで気持ちおさえてまで付き合うことないけど

という歌詞があり、努力することだけを正しいと肯定してるわけでもないのかな?なんて気持ちもあったので。

それから、3年後に私達は恐ろしいくらい毎日喧嘩をして、(一緒に生活してたこともあり)
最終的に私は本当に彼のことでノイローゼ気味になって、感情的になって彼を傷つけたし、彼にも傷つけられるような関係になってしまった。

私はその頃、自分はどうして彼に優しくできないんだろうか?と心底自己嫌悪を抱いていたし、あの歌のことなんてとうに忘れてはいたけど、頑張ってこの関係を続けないと、男女なんて完璧はないのだからとそんな気持ちに縛られていた。

最終的に、私達は別れたのだけど、
ずるずるとお互いに傷つけあった時間が長すぎたように今は思っている。

私は努力しないといけないと信じていたから、それが原因だったと思う。

あの後の自分なりに考えた結論は、
至ってシンプルに、

人はそれぞれ違うからぶつかり合うものだけど、
やっぱり居心地の良い関係を築ける人がいるはずだ

というものです。

私もわがままだけど、彼もわがままだったし、
私のわがままをそんなにわがままじゃないよと思ってくれる人がいるような気がしてるし、
彼のわがままをそんなにわがままじゃないよと思ってくれる人がいるような気がしてる。

つまりは相性というものです。

でもやっぱりこの曲を久しぶりに聞いてると
頭の中に???が浮かんでくる。

がんばってみるよ
やれるだけ

そのやれるだけはどこまでなんだろうか?
私はもっとがんばるべきだったのか
それとももっとはやくがんばらないべきだったのか

でもあの時もうだめだと思ったのは、
単純に彼のこと好きじゃなくなってたのかもしれないな。

すごくすごくシンプルなことなんだろうな。

とはいえ、私は基本的に人と深く付き合うとはこの歌みたいに
やれるだけがんばることだと思ってる。

自分と違うところとか、合わないところをどうにか解釈して、それでも一緒にいたいと思うことが好きってことなんだとも思う。

うーん、なんだかまとまらない文書になってしまった。
つれづれなるままに。

読んでくださってありがとうございました。

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