シンギュラリティ・ドクターペッパー~アマレットコーク~
ドクターペッパー
私はドクターペッパーが好きだ。昔から大好きだ。
しかし、ドクターペッパー好きはマイノリティーである。
私が小さいころ、炭酸飲料を飲むことがカッコイイとされ、その頂点はコカ・コーラと定義されていた。
コカ・コーラ教を崇拝することが正義とされ、その他の嗜好は否定された。その矛先は、コカ・コーラよりも一足早く販売され、アメリカ最古の炭酸飲料として歴史あるドクターペッパーには特に顕著であった。
私の学校では、ドクターペッパーを飲むことが「罰ゲーム」として定着していた。
わざわざドクターペッパーを自動販売機で買い、回し飲みをする。
飲んだ後には必ずマズそうな顔をし、いかにマズいかを語らなければならなかった。
宗教論争
当時の私は無神論者であり、コカ・コーラも好きだがドクターペッパーも好きだった。もし「ドクターペッパーもおいしい」と言っていたら、きっと逮捕され、十字架に磔刑され、親兄弟がどうなっていたか分からない。
子供にとって、嫌いなピーマンをおいしそうに食べることより、大好きものに唾を吐きかけるような思いはツラすぎる。
コカ・コーラが美味しいのは私も十二分に知っているのだが、どうしてそれ以外を蹴落とさなければいけないのか。
平和的解決を模索するも、隠れペパシタンとして生きていくほか無かった。
階層構造
昨今は、個性に価値を見出し、LGBTなどにも理解がされはじめ、炭酸飲料ヒエラルキーも薄まったように感じる。
しかし、コカ・コーラとドクターペッパーが同列に並んでいるわけではいない。
シュウェップス社から独立したドクターペッパー社は、日本国内のイメージ操作による迫害に屈し、コカ・コーラ社の傘下となることで生きながらえた。
シンギュラリティ
今はまだ、巨大生産背景をもつコカ・コーラ様におんぶにだっこだが、その営業ノウハウをドクターペッパーがディープラーニングした未来はどうなってしまうのだろうか。
消費者としては、どちらも対等に選択できるような共存関係でいてくれたらと思う。
今夜の一杯
ドクターペッパーが飲みたい気分だが、今はあいにく売っている所が少ない。とりあえずはアマレットをコカ・コーラで割って、疑似ドクターペッパーで我慢することとしよう。コカ・コーラ社があってこそ、ドクターペッパーが生き続けていることに感謝しながら。
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