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宗教を社会全体に持ち込んではならない

「マスク教」

僕は早くこのマスク社会が終わって欲しいと願っています。

今年の1月頃、国内でコロナ陽性者数が増えてきた時、職場にて、常にマスクの着用が必須となった時(それまでは自席ではマスクをしなくても良かった)、僕は上司に「マスクしたくないです」と言いに行きました。

その上司に「新聞やテレビはマスクには効果があるんだからしなきゃだめだよ」とか「専門家が言っているから」と言われ、それに対して「マスクはウイルスに対して意味ないと言ってる専門家もいますし、実際にマスクの着用率と陽性者数に相関はありませんよ」と伝えました。

そうすると上司に、「まあ僕も小林くん(僕の苗字)も専門家じゃないんだから、議論しても意味がない。結局何を信じるかだよね」と言われました。

ここでマスクは宗教なんだとわかって、諦めました。

宗教が社会に浸透した結果

上司の言ったことは間違いなくて、結局は何を信じるかということです。

ウイルスなんて目に見えないんだから、そこにあるかどうかもわかりません。
そしてそのウイルスがマスクによって防げるかどうかなんてまじでわかりません。
わからないから「信じる」。これってもう、立派な宗教ですよね。

以下、このコロナ禍におけるマスク社会を、「マスク教」と呼ぶことにします。

もちろん宗教自体が悪いと言いたいわけではなくて、それを社会全体に持ち込むべきではないと言いたいのです。

何を信じるかは自由なハズなのに、マスクは社会全体に浸透しました。

マスク教を信じていない人に対しても、宗教は干渉してくるようになりました。

その結果、このおかしな社会になってしまいました。
「おかしな社会」とは例えば、健康な人が常時顔を隠し、健康な人が体内に何かを注入することで何回も体調を崩し、医療業界ががっぽり儲け、飲食業界や舞台などの業界は大ダメージを受け、超過死亡が増え、出生率は下がったといったような社会です。

つまりマスク教が社会全体に浸透したお陰で、多くの業界に少なからず影響を与えたわけです。

宗教勧誘をしている人に対して良いイメージを抱く人はそう多くないと思いますが、今回のマスク教はそれよりもよっぽどタチが悪いです。

とは言っても僕もコロナ禍が始まった2020年初頭はマスク教の一員でした。だから当時は友達がマスクをせずにくしゃみとかしていると、「マスクしてくしゃみしてくれ」とか言っていました。だから今は申し訳なく思っています。

2021年の夏には僕はマスク教から脱退して、それからすぐの時は友達から「マスクしなよ!変な人やで!コロナに罹りたいん?」とか心配されたりもしました。笑

それからはマスク教を「信じていない」と伝えたにも関わらず、マスク教を強要されることも何回もありました。

仕事をするにしても、ほとんどマスク教が浸透しました。

電車の中でおばさんにマスク教へ宗教勧誘されたことも一度だけあります。

何かを信じる

5Gとかも目に見えないのに、「危険だー!」と言っている人がいます。
まあ僕もスマホを頭の近くに置いて寝ていた時は頭痛をよく感じることがあって、寝る時にスマホを遠くに置くことによって解決しました。(僕はまだ4Gですが)
だから電磁波とか、何かしらの影響はあると思います。

でも結局目には見えないから、実際は電磁波じゃなくて、別の何かが働いているということも考えられます。

目に見えないものを信じることは宗教であり、それを社会全体に持ち込むとおかしいことになるというのがこのコロナ禍でした。

だから自分の信じることがあっても、それは自分の中で留めておくか、伝える、発信することはあっても人に押し付けないことが大事だと学びました。

本当に良いと思ったものは、人についつい強く「やったほうが良いよ!」とか無意識のうちに言ってしまっていることがあるので、気を付けないといけないですね。

そしてそういう宗教を持っている人に対して、否定もするべきではないと思いました。


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