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二郎系ラーメンには人の脳を支配し、快感に導くパワーがある

そもそも、写真の絵面のパワーがあるように思うのは、この際野暮なので忘れることにしよう…

最初に二郎系を食べた時は、あまりにも強烈な濃い味、油、麺の太さに驚いて、二度と食べることはないな…というよりは、食べられないな〜これはと思ったのを覚えている。

我が地元、山形の主流であるあっさり系とは対極にあるタイプのラーメンであった為に、正に未知との遭遇と呼ぶに相応しい、忘れ難い記憶である。

しかし、気づくと一週間後に食べている自分がいたのである。

この大いなる矛盾を名文化出来る術を私は知らないし、それは私がの持つ語彙力が貧相であることを除いても結果は変わらないように思う。

やはり、中毒性があるのだ。何とも言えない強烈な欲望となって脳みそから指令を発し、身体を動かし、店へと向かわせる。

そういえば、カタツムリに寄生して行動を支配する生物がいたというのを見たことがある。(グロテスクなので、あまり検索はおススメしない)

まさに、そんな哀れなカタツムリ君と、私は、いわゆるジロリアンと呼ばれる同志たちは同じメカニズムで行動を支配されているのであろう。

更にこの凄じいボリュームを無心で貪り食うことで感じる満足感。恐らくドーパミンのような快感物質が、脳内をドバドバ駆け巡っているのだろう。

野菜の山を攻略し、麺を豪快に喉に流し込む。この挑戦しているというワクワク感もまた、特筆すべきことであろう。

そして、心いくまで一杯を堪能し、それを作ってくれた方に感謝する。多少苦しいくらいの満腹であるが、それもまた、達成感という心地よさを与えてくれる。

同時に、ここまで満足するくらい食べたのだから、当分は食べなくても大丈夫だなと思う。神に誓って、この時点では本当に有り難うそう思っているのだ。

しかし、気づけばまた、目の前には巨大な山のようなラーメンが聳え立ち、それに喜びを感じているのである。

やはり、二郎系ラーメンとはかくも恐ろしき食べ物だと思う。だが、歳を重ねると健康的にも物理的にも食べられなくなるので、節度を守りながら、今しか味わえないものを思う存分味わっておきたいなと思う。

と、上手く締めようと思っても、私の脳は完全にこの魔の食べ物に支配されているのだ。きっと、気づけばまたフラリと暖簾をくぐっているのだろう…

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