いつか言葉が眠る時を夢見て――ZARD・坂井泉水に寄せる想い――
これはイタリアの作家・アントニオ・タブッキが、彼の小説『遠い水平線』の終盤、ホテルで水平線を眺めながら、恋人であるサラに書いて送った手紙の一部で、過去へのまなざしが欠けるひと、および、喪失したひとへの想いが欠けたひとに特有の想いが込められているし、それでも好きな女性への感情は絶やしてはいけないという願いが、夜想曲のようなタッチで書かれている一文だ。
っていうのは、もちろん冗談で、これはこれからミラノのZARAで買った、Lのレディースの青いシャツの写真と同時にポストする予定のセンテンス。
こっちに来ても、ZARDの歌はよく聴く。
僕が若い頃、眠りも知らないくらい仕事して、遊んで、趣味に打ち込みたいって思うことがよくあったけど、この頃は、もっとしっかり睡眠を取って、遊びもほどほどに、仕事と、好きな人との恋愛に向き合いたいって気持ちが強くある。
それでも、人間って、夜、眠ろう、眠ろうって思うほどなぜか寝られないことがあるから、こっちに来ても結局、夜な夜な起きて、スマホを見たり、パソコンを見たりすることが多い。
人が考える時、イメージも頭に思い浮ぶけど、思考を司っているのはやはり言葉だ。
イタリアでは、英語とか、イタリア語とか、中国語とか、日本語とか、四カ国語を使って、ひとと話すのは日常だし、どうしてもひとに伝えたいことがあるから、エッセイを書いているし、イタリア旅行とか、執筆のお役立ちエッセイも書いてるけど、言葉をよく使うとどうしても眠るのが難しい時がある。
眠りに就くということ。
それは、沈黙と祈り、戦いと議論の問題でもある。
パーティに参加する時、どうしてもひとは沈黙しているわけにもいかないし、逆に静粛な場所で騒いでいるのも不自然だ。
これは言葉と大いに関係がある。
それでもなぜか、僕は言葉を眠らせるわけにはいかなかった。
ギリシャ神話のピュグマリオンという、理想の女性の彫刻ばかり彫っていたら好きな女性が現れて、結婚したという伝説があるし、この話もそんなに嘘ばっかりでもないって気がするから。
ミラノはすごくいい街だ。
もし今度、婚活アプリでほんとにいいひとと知り合ったら、ドゥオーモ広場の近くのカフェでカプチーノでも、スピリッツでも飲みたい。
夕暮れ時のドゥオーモで、幸せそうにおしゃべりするひとに囲まれて、好きなひとと甘いお酒でも飲めたら。
好きなひとがそばにいてくれたら、もっと眠れるんだろうと思うことはよくある。他にも安眠するための方法はたくさんあるから、積極的に試してみるけど。
了
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