「マインドフルネス認知療法」…これはぜんぶ治ってしまうよなww

 つづいては「認知行動療法」についてなんだけど、はじめて聞く言葉のうえに、ワタシなんぞに「障害」をもった他者の「治療」など行えるわけもない(違法だしw)わけで、もうメモを残す意味もないなと思っていたわけ。それでも、書き始めちゃったのは、タイトルの「マインドフルネス」という言葉がでてきたからなのさ・・・^^

 とりあえずこのセミナーのメモでは、「認知行動療法」が解らなければ「マインドフルネス」にどう繋がるかわけわからんってことで、思い出しつつ書くけど、なんせ前回も書いたように40分で嵐のような早口(ってどんな早口だよw)だったんで、歪んだ認知かもしれないというメモなのであまり信用しないように ^^;

 さて、認知行動療法は治療の方法なんだけど、まずどんな症状を治療するかといえば、「パニック障害」やら「社交不安障害」ってことらしい。
 「パニック障害」ってのは、例えば、、、、なにかの拍子に動悸めまいなどの発作に苦しむ、ずっとその発作が起きなかったのだけど、ある日地下鉄に乗ったときにその発作が起きてしまった。その後、地下鉄に乗ることで、もしくは地下鉄のなかのような人が集まるところに行くとその発作が起きると激しく「思い込み」、地下鉄にのることや人が集まるところへ出かけることができなくなってしまった、、、、という障害なんだって。地下鉄と発作というたまたまの因果が「必ず起きる」と「思い込む」障害ということで、パニックになる症状(動悸めまい)そのものとは無関係です、と講演者(ドクター)は強調してたな。

 地下鉄にのると発作がおきる、という「歪んだ認知」があるわけだけど、その認知の「歪み」を治す「認知療法」と、実際に被治療者が治療者といっしょに地下鉄に乗ったりして発作がおきないでしょ、と「思い込み」を治す「行動療法」ってのがあって、まあ、衆生にはありがちだけど、認知派と行動派が仲が悪くいがみ合っていたらしいんだけど、まあ両方とも大切だね、ってことで「認知行動療法」って合体したらしい。めでたし。
 で、「認知行動療法」のポイントは「今ここで問題になっている」ことに対して治療すること。上の例でいくと「地下鉄に乗ると発症するという思い込み」になるかな。その今の「思い込み」を治療する。
 なんか誤解する人がいるようなんだけど、「認知行動療法」を受けると「疾患でなくても変わることのできる自己啓発」だと思っている人や、「正しい考え方を教えてもらえる」とか、「認知を変えることで不適切な期待」をしてしまう人がいるんだけど、それは誤解だからね、ってことで、今その「思い込み」で苦しんでいる状況の治療なの。

 ついでなので「社交不安障害」ってのも面白い、、もとい、興味深いのでちょっとだけ紹介しておくと、誰か人と会うときに他者からの自分に対する「否定的な評価への恐れ」を異常に感じてしまうってやつ。例えばね、ちょっとしたお茶会なんかでるときでも、そこで何か聞かれたことに上手く答えられずに顔を赤くしたらどうしよう、とか、「いらんことを言って」相手を怒らせたらどうしよう、、なんて自意識過剰的な心配をしちゃったりすることらしい。まあ、ワタシの場合は少しは「いらんこと言い」を自嘲せーよ、って言われそうだけど、、、、ワタシのようなおバカでない社交不安障害の人は、お気軽なおつきあいでも、失敗をおそれて「過剰に話題を準備してしまう」っていう障害なんだって。あ、ワタシも人に会うまえには過剰にギャグを用意してしまうんだけど、、、ってもういいかww
 この「社交不安障害」にも、「認知行動療法」の療法モデルケースってのがあってそれに沿って治療していくってらしいのだけど、それもこのメモの中心じゃないので省略、テヘペロ。

 でね、最近は「第三世代CBT(弁証法的行動療法)」ってのが流行っているらしい。
 つまりね、従来のものは「歪んだ認識」や「自意識過剰」そのものを対象にして直接「そのこと」を治療していようとしたんだけど、もうすこし全体を見ようよ、っての。
 メタ認知療法ってのは、その症状をもっている私自身、私全体を俯瞰しようよ、ってのは、多分、原因そのものをもっている私そのものを一旦、上から観てみよう。ってものと想像するし、さらには「マインドフルネス認知療法」ってのもあるらしい。実はほとんど説明がなかったんだけど、ちょっとだけ「この療法は禅から始まる」とか「瞑想」という言葉がドクターから漏れた。で、え、あ、そこ、もっと、、、、といきなり興味津々になったところで40分の講演は終わっちまったのだよ。

 マインドフルネス? どっかで聞いた英語だなぁ、とジタバタしていたら思い出した。「仏教思想のゼロポイントの44p」である。
 つまりね、マインドフルネスってのは、仏教用語でいうとこの「気づき」の英語訳ってことだったのさ。で、「気づき」ってのは「悟り」を目指すことの実践なんだって。じゃ、「悟り」ってなんだよ、ってことになるのだけど、

「衆生が癖によって盲目的に行為しつづけている状態」が「迷い」であり、「それを止めた状態」が「悟り」である。

 らしい。で、「癖」ってのは「悪い癖」(習慣的盲目的行為)であり、煩悩の作用により習慣的な行為「わかっちゃいるけどやめられない」ってやつ。そんなやつに「気づき」、「悟り」に至れば治癒できるだろうってわけだな。仏教でも「修行」によってそんな境地に至るらしいから、修行がそのまま治療になるわけか。もっとも仏教でいうところの「癖」は自意識?、自我?、煩悩全部?で「悟り」とは「無我」になるようなので「パニック障害」の治療とは全然次元が違うところにアリそうなんだけど、修行(という治療)によって、ブッダのいう「悟り」まで至れば「パニック障害」も「社交不安障害」も完璧無欠に治っていることは間違いなさそうだな。そんな「悟り」ではなく、マインドフルネス療法という治療のほうでは、平均的で普通の衆生への復帰にとどまるマイルドフルネスなものだろうね。

おまけ

 セミナーの第三セクションは「産後鬱」だったのだけど、これはメモも書けそうもない。でも、ひとつだけ笑ってしまったことをメモっておこう。
 産後鬱にならないために、軽減するためには、母親と赤ん坊をフォロー(育児を助ける)する他者がいればいいということなんだけど、そうした他者は、

質より量

だそうだ、ここでツレアイと思わず笑ってしまったのだけど、まあ、傾聴なんかでも、自己の裡なる対話だそうだから、聴く側の「質」いかんにかかわらず、回数つまり「量」が大事なんかもしれないね。ってほんまかいや、てやんでぇ〜、爆!!

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