紹介していただき、思わずサポートしたnoteに感謝

いつものようにnoteのタイムラインに目を通す。
他所様のnoteを紹介する「つぶやき」があり、リンク先にとんでみた。
最後まで読んでみて欲しいと紹介されていたので、そのnoteの最初から読み始めた。
一話づつハートマークをクリックしながら読み進む。
読むのが止まらなくなってしまい、最新のnoteまで読み通してしまった。
読み終わると、ぼ〜っと窓の外の景色を眺めていた。
たまに良質な本を読み終わったときにある、あの空白の時だ。
あれ、今日は雨が降っているんだっけ……、それにしても、いきなり知らないヤツが乗り込んできて「スキ」が20もクリックされていたら怪しげだよなぁ〜……、今日は夕方から傾聴だな〜傘はいるかなぁ……、などと脈力のないことが浮かんで消える、あ、今、上の空だなと空を見つめていたら笑えてきた。
笑いで正気に戻る。

このnoteの続きも読まなくちゃとフォローし、気づいたらサポートもしていた。
そういえば以前もこんなことがあったな。
そのnoteも突然出会い、一話から読み進めながらスキを打ち続け思わずサポートをした「少年が主人公のマンガ」のnoteが……、そのときも、なんとなく、ありがとう、と伝えたかった。
サポートとは考える以前にこんな気持でしているものかもしれないな、と感じた。

ありがたいことにお礼のメッセージを頂き、フォローもしていただいたのでこんな拙文も読んで頂けるかもしれない。なので、とりあえずの感想もほんの少し書き残しておこうかな。

この際そのnoteのテキストの魅力は置いておきますね。
noteは難病をかかえ辛い状況にある生活のことが綴られる。
そのときどきの心情がめちゃくちゃ伝わってくるのだ。
まずそこを読んでしまうのは傾聴者としてのワタシの特別な性なのかもしれないけのだけど。
身体の辛さからくる心情だけでなく、他者との関わりから生まれる赤裸々な心情。
何百回と傾聴を重ねても、辛さのなかにいる人が真に何を考え感じているかはワタシには分らない。
一生懸命想像はするけれど、「分かる」などとおこがましいことは言えない。
分かろうとしても、心が一致することはない。
と、普段は感じている。
でもね、このnoteからはそれよりも大切なこと感じるのである。

関わる他者のほんの少しの言葉、ほんの少しの表情に辛さのなかにいる人は敏感になる。
他者との関わりで、辛さが増すか辛さが和らぐとかが間違いなくあることが伝わってくる。
その「ほんの少し」の一つひとつが自らの傾聴のときの他者に対する言葉を振り返らせる。
他者の言動だけでない。満身創痍であるけれど自らの態度が他者を思いがけず力づけることに気づく。
わかり会える他者がいることで勇気づけられ、勇気づけることができることが綴られる。
うん、やはりこれなんだよな、とワタシも気付かされる。
傾聴といえども、聴き手もやはり勇気づけられているのだ。
今回もまたこのnoteからワタシ自身も勇気づけられている。感謝です。

本当は細かく書きたいのだけど、紹介の場であまり書くとよくないよな。
感じること感じかたは人それぞれだし、書き手もやはり自由に好きなように書いて欲しい。
ワタシも自由に読んで好きなように感じる。
素直に好きなように感じることができたnoteに感謝です。

「褐色細胞腫 闘病記」
https://note.com/tankta/m/m1c1d969b939e



紹介してくれたKさんにも感謝。


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