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褐色細胞腫 闘病記

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日本でも稀少とされている褐色細胞腫の闘病記。オペ経験6回を経るも7回目の再発でCVD治療。その後TACE療法3回を経て12回目の再発。 2024年3月、世界初MABG療法の治験に… もっと読む
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記事一覧

褐色細胞腫闘病記 第47回「ダブル悪性疾患」

佐々木先生の後をついて面談室に向かう。 ドアを開けると、執刀医の崎森先生が先に待っていた…

三島 こうこ
3週間前
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褐色細胞腫闘病記 第46回「小さなつづら」

いやあ、本当に医学は日進月歩だ。 リカバリ室に移動させられた私は普通に美味しく食事が摂れ…

三島 こうこ
1か月前
6

褐色細胞腫闘病記 第45回「スケール・ゼロ」

目覚めたら、私の口には何かが突っ込まれている。なんだこれは。苦しい。呼吸器か。 おお、こ…

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三島 こうこ
1か月前
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褐色細胞腫闘病記 第44回「不真面目なオペ患者」

私は、浣腸を待っていた。 手術の日の朝である。 そわそわしていた。あの羞恥プレイも13年ぶ…

三島 こうこ
1か月前
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褐色細胞腫闘病記 第43回「麻酔科医の内緒話」

私は入院前、勤めていた調剤薬局で突然卒倒した。 ドキサゾシン。 初めて聞く名前の薬、この…

三島 こうこ
1か月前
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褐色細胞腫闘病記 第42回「末期病棟の音楽会」

入院病棟は以前とは別の場所に立派に新設されていた。旧棟とは比較にならないほど綺麗で広く、…

三島 こうこ
1か月前
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褐色細胞腫闘病記 第41回「アメリカンブルー」

え…今更再発って…13年も経って? そうだった。その時の私は、この病気がそういう特徴のある病気だということをすっかり忘れ切っていた。それほど油断していた。 「でも、4カ月前のCTの結果ではなんともなかったですよね」 にわかに信じがたい私は、怒りすら覚えながら目の前の自分の肝臓の画像を見る。そうだなあ。確かに肝臓の一部が白く抜けているなあ。しかもずいぶんハッキリとした影だこと。 レポートには読影医のコメントが添えられている。 【悪性褐色細胞腫の術後。肝臓と大腸を繋ぐ門脈付

褐色細胞腫闘病記 第40回「13年ぶりの再発」

今日は「私のところに来るのは一番最後でいい」という言葉をかけてくださった夫の勤務先の村上…

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褐色細胞腫闘病記 第39回「新しい出会い」

私には、夫の葬儀の時の記憶がない。 喪服を母に着せてもらったこと、密葬のため急いで火葬し…

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褐色細胞腫闘病記「第38回 予約送信の遺書」

あの日のことを書こうか。 何度電話しても、夫と連絡が取れない。 さっき自宅に寄った時、夫…

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褐色細胞腫闘病記 第37回「夢の中の夢」

「旦那さんが亡くなってまだ3カ月ですか…あの、失礼ですがもう少し休まれたほうがよろしいの…

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褐色細胞腫闘病記 第36回「螺旋階段」

私は側道に車を停めたまま、昨夜のことを思い起こす。 本当は「なぜ」という言葉の礫(つぶて)…

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褐色細胞腫闘病記 第35回「溶けかかるアイスクリーム」

ママ友との交流。 これはどうしても避けて通れない道である。 子供を学校に預けながら、親が親…

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褐色細胞腫闘病記 第34回「淵の底」

「野乃ちゃん、ほら、また忘れ物っ!」 昨日は体操服入れを忘れ、今日は絵の具セットを置き忘れ、この子のうっかり屋は本当に私にそっくりだ。 「ママー、プリントのお返事今日までだった!」 「えっやだぁっ! なんなのよぉ」 もうこんなやり取りはすっかり慣れすぎてまったく驚かない。 最後の手術から5年経った。 娘の野乃子は小学6年になった。ずっと誰にも分け隔てなく人に優しく接する女の子に育った。 あれから、棚沢教授も、梶並教授も、みどり先生も転院になり、私の主治医は肝移植を専門とす