見出し画像

褐色細胞腫闘病記 第46回「小さなつづら」

いやあ、本当に医学は日進月歩だ。
リカバリ室に移動させられた私は普通に美味しく食事が摂れ、軽口を叩き、退屈すらしていた。そして予定通りオペ5日後には一般病棟に移ることになった。痛みで七転八倒することはずっとなかった。

「ただいま帰りましたぁ~!!」
元気を引っ提げて車椅子で自分のベッドに戻る。
「おかえりなさい~なんだか元気そうですね」
向かいのベッドの川名さんが優しくほほ笑んでくれる。
左のベッドの一ノ瀬さんは、5日会わない間にずいぶんむくみが取れていた。足の太さが半分くらいになっている。
「三島さん、オペお疲れさまでした」
か細い声ながら、ちゃんと届く声が嬉しい。瞼の腫れも引いて、まっすぐに私を見てくる。初対面では年齢不詳だったけれど、案外若い人のようだ。
斜め前の磯原さんは寝たままゆっくりと私に向けて手を振る。一見して調子が良くないように見える。大丈夫かな、と心配になるが敢えて黙る。

さあ、一般病棟に戻ったならさっそく歩行練習しよう。痛みがなければこっちのもんだ。まずは尿のバルーンを外してもらおうと看護師を呼ぶ。
「そんなにご無理しない方がいいですよ」
「大丈夫です。自分の足でトイレに行きます!」
そう、なんつっても私はオペ5回目。無理にでも動かないといつまで経っても回復しないことは痛いほどわかっている。

バルーンが外された。
よし、いざ歩くぞ。また前のように起立性低血圧でぶっ倒れたら大変なので、看護師に介助をを頼む。ゆっくりゆっくり立つ。よいしょ、よいしょ、そうそう、頭を最後に起こすのよ。そう、その調子その調子。
「立てたっ!!」思わず大きくなる声。
同室の3人が拍手をくれる。・・・パチパチパチパチ・・・
みしまさん、がんばって~ うん、がんばるよ いままでだってわたし、さんざんがんばってきたんだもの。ほら、あるけるでしょ、ほら、いっぽ、またいっぽ。わたし、すごいでしょ。
心の中でゆっくり自分を励ましながら、ふと過ぎる感情。

「あーあ、またイチからやり直しか」

私の規模のオペをすると、オペ1回で7歳は年を取ると聞いたことがある。これからまた少しずつ歩ける距離を増やし、立っていられる時間を増やし、重たいものを持てるようにしていく。少しずつ少しずつ進む。そうしないと日常生活を営めない。客観的にも「病人」として生き続けるのは嫌だ。見栄からではなく、病人然としていたらピアノ講師という私の仕事は務まらないからだ。

それに1回で7歳年を取るなら、いったい私は今何歳だ。
浦島太郎じゃねぇんだから、そんな小出しのつづらは要らない。もうオペは本当にこれで勘弁してほしい。
まあ、でも私はこうして病巣を切れただけラッキー。どんなに時間がかかろうと、私はまた一生懸命にピアノを教え、講師として、一社会人として、そして野乃子の母として、何より、自分自身のためにどっしりと地に足をおろして生きていかなければならない。

ふーっと深い溜息をつきながら、ゆっくりと便器に腰を下ろし、排尿する。
バルーンを外した直後のヒリヒリする痛み。これにももう慣れた。
自分で排泄ができる、これは尊厳を保つうえでとても大切な行為だ。
亡くなった母は最期までオムツを交換してもらうことが嫌だと言っていた。その気持ちは今の私にはとてもよくわかる。

トイレから出ると、具合の良くない磯原さんのところに旦那様がお見舞いに来ている。
旦那様は眉間にしわを寄せ、険しい顔で磯原さんを見ている。
ああ、病人に向けてそんな顔しちゃダメよ、と思いつつ「こんにちは」と小さな声で挨拶する。旦那様は静かに目礼しただけで、顔を向けようともしない。そうだよね、つらいよね、愛する人のそんな姿、見たくないよね。
磯原さんはオペさえすれば助かるという望みを語っていた。でももう、見るからに衰弱していて、オペに耐えられるようにはとても見えない。
医学がどれだけ発展したとしても、末期の膵臓がんを救う手立てはないのだろうかと胸が苦しくなる。

前のベッドの川名さんが、子どもの写真を見て後ろを向いて泣いている。確か小学校2年ほどの女の子がいるんだって言ってたよな。
どうして私はオペができて、川名さんはできないんだろう。同じ肝臓の腫瘍なのに、何がどう違うのだろう。私は見ないふりをしてカーテンを敢えて閉める。

言いようのない想いにかられ、窓の外を見る。
新しくなった病院は駐車場が広くなり、緑も増えて、窓からの景観もとても良くなっている。下を行き交う人たちは、今何を考えているのかな。病気を抱えているのかな。お見舞いに来たのかな。そぞろ、想いを巡らせていると、芳河さんの言葉が浮かぶ。
「三島さんは切れるだけ幸せよ」
「つらくなったら芳河よりはマシって思っていいよ」
そうだね、こうしてオペできたんだから、私はきっと、幸せよね。
芳河さんと夕陽を見た記念棟はもうここからは見えないが、今でもずっとあの時の光景は私の宝物だ。

このあと、私はCT撮影をした。
そして、夕方になって「CTの結果についてお話があります」と主治医の佐々木先生がやってきた。
嫌な予感を振り払いながら、私は面談室に歩いて行った。


第1回「冬でもノースリーブ」
前回「スケール・ゼロ」


この記事が参加している募集

よろしければ、サポートをお願いします。いただいたご芳志は、治療のために遣わせていただきます。