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褐色細胞腫闘病記 第11回「希望の緑」

リカバリー室は性別関係なく術後のケアがまだ必要な人が入る部屋だ。
ナースステーションのすぐ近くにあり、何かあればすぐに駆け付けてくれる。
病室からは看護師さんがせわしなく働く様子も見えるので、それだけでちょっと安心する。

私の左側のベッドでは40代後半くらいの男性がうんうん唸っている。
右側では70代と思しき女性が苦しそうな咳をしている。
2人はどこを切ったんだろう。
私はボルタレンサポに望みを託していたが、恐ろしいことに効果時間が日々短くなっていた。
だが、それに比して傷自体から発生する痛みも少しずつ少なくなっていったのだうか。ICUにいた頃よりは楽に過ごせていた。

リカバリー室での私の担当の看護師さんは30代前半だろうか。顔は本田翼みたいな可愛い顔をしている。
「三島さん、立ってみようよ。そして二、三歩歩いてみよう。寝てばかりいると腸が動かないのよ。回復も遅くなるの。三島さんなんでやろうとしないのかなあ」
可愛い顔をしているのに、鬼のように何度も何度もこのセリフを聞かされているので正直もうゲンナリだ。

〈あのねぇ、そんなんわかってるの。体動かすとようやく効いてきた痛み止めの効果も一気に霧散するのよ。あなたにそれがわかる?〉
心の中でギリギリと本田翼に悪態をつきながら、苦々しい口調で返す。
「私60針も縫ったのよ。そんなにホイホイ歩け歩け言われても」
「あら、三島さんより大変なオペしている人でも術後すぐに立って歩いてるわよ。ほかのみんなは頑張っているのよ。切ったんですから痛いのは当たり前ですよ」
間髪入れずにピシャッと返ってくる。

な…んだと? 私が頑張っていないとでも?
ますます腹が立ち、死んでも歩いてやると決意する。

「じゃ、立ってみます。介助お願いします!」
私はキッパリと本田翼に言い返す。
体を立てればおそらくものすごく痛いはず。でも頑張りが足りないと言われてのうのうと寝ているわけにはいかない。
私は別に負けず嫌いな性格というわけではないが、理不尽な物言いはこの世で一番嫌いだ。

まずはベッドの脇に足を降ろすことから始める。体勢を90度変えなくてはならない。よいしょっ。
いっててててててててててててて。
いやいや、ここは平気な顔をしていなければ。
ベッドから頭を起こす。おお、座れた! ベッドの上にちゃんと座れたぞっ! よし、ここから床に立つぞ。うう、苦しい。いたいたいいたい。
…あれ? 目の前が暗いんですけど…

「三島さん! しっかりしてください!」
看護師が私の肩を揺さぶっている。どうやら起立性低血圧障害を起こしてベッドの上に倒れたようだ。
まあ、ちょっと深い長めの立ちくらみってやつだろう。

「ごめんなさい、三島さんはあんな大手術をして20日ぶりに立つんですからこうなっても仕方がなかったですね。ずっと歩こうとする気配がなかったので、私もちょっと焦ってしまって。ちゃんとこうなる可能性を事前に説明しておくべきでした。びっくりさせてしまいましたね。ごめんなさい。」
さっきまでブイブイ煽っていた看護師が急に低姿勢になる。
そうか、あの腹の立つ物言いは私を鼓舞するための故意の言葉か。

私は「あなたのためを思って」という言葉を忌み嫌っているが、この看護師さんの「あなたのためを思う」その心はおそらく本物だろうと確信できた。

それとわかると私はこの看護師さんの誠意が途端に眩しくなる。絶対に応えなければと強く思う。
ま、今思うとこれも作戦のうちだったのかもしれないが、それでもいい。
私はそのあと再度トライしてみた。

看護師が一生懸命私を励ます。
「そう、そう、ゆっくりでいいです。そのままそのまま、そう、じょうずですよ」
ゆっくり頭を起こす。座ってもクラクラしない。今度は大丈夫だ。
足を降ろす。スリッパを履いて、支えてもらいながら両の足を踏ん張る。

…立てた!

まだ全身管だらけだけど、ヨレヨレだけど、私は20日ぶりに自分の足でベッド脇に立てたんだ。

以降、私は何度も手術を繰り返すことになるのだが、この時の感動は本当に今でも忘れられない。

「二の足で立つ」ただそれだけのこと。
ただそれだけのことなのに、自分の足で立って観た病室の窓からの風景の緑は、日常で見てきた緑の色とは明らかに違って神々しく見えた。

そうか、私はあの大きなオペを乗り越えてここに立っている。
生きている。いま私は、確かにここに、生きている。

よし、今度はあの緑をもっと近くで見よう。
早く退院して、薫風に煌めくあの緑色を見たい。
大切に私が育てた花たちを手に取り、きれいだね、と褒めてあげたい。

それからの私は痛みを恐れなくなった。一生懸命歩行訓練にいそしんだ。
一度歩いてからは胃腸も活発になり、痛み止めを使わなくても過ごせるようになった。本田翼看護師、ありがとう。

リカバリー室を出て、一般病棟に戻る。
同室のみんなは相変わらず虚ろな目をしている。
私は大きい声で言った。

「みんなっ!  ただいまっ!」

同室のみんなが一斉にこちらを見る。
「な、なんで歩いて帰ってきてるの?」
「い、痛くないの?」
「お、おかえりなさい」
おいおい、なんでみんな一斉にどもるんだ。

ヨレヨレになりながらも点滴棒をガラガラさせて3本ものドレーン(管)をぶら下げながら入ってきた私を見て、みんながパラパラと拍手をしてくれる。みんなの顔が驚きと輝きで光っているように見える。そうか、こんなにヨレヨレでも人を勇気づけることは可能なのか。

それからというもの、私の病気が日本であまりいない疾患ということ、たまたま風邪で行った町医者が奇跡のような偶然でこの稀少病を発見してくれたこと、そして13時間半かかってたくさんの臓器を切ったことを面白おかしく聞かせてみせた。

夢も希望もなくして虚ろな目をしていた一般病棟の人たちが、私の話を聞きに私のベッドサイドにやってくる。
「私より若い人がこんなに重い病気と闘っているのにへこたれてはいられないわね」とやっと笑顔を見せてくれるようになった50代の肝臓がんの患者。
「三島さんを見ていると元気になるわ」と70代のすい臓がんのご妙齢の方。
「あなたがいると病室自体も明るくなる、希望が湧くわ」と言ってくれた、同世代の乳がんの女性。

私にとっては初めての、生まれて初めいただく類の誉め言葉だった。

私は書くことは好きだが、喋ることはとても苦手である。なので、この時の私の饒舌さは、自分でも何がどうなってしまっていたのかがてんで説明がつかない。

だが、この時の体験がもとで、私は病を病で力づけることができるんだと実感した。
それは「他人の不幸は蜜の味」に直結する、もしかしたら奥を探ればとても醜いものなのかもしれない。

でも、さっきまで半眼で希望を失っていた人をこれほど笑顔にできるなら、私は絶対安直な「悲劇のヒロイン」にだけはならないと強く強く心に誓った。
それに、私が私を「不幸」だと思わなければ「他人の不幸は蜜の味」などという戯言も湧きようがない。
私は、決して、不幸ではないんだ。
稀少疾患が、悪性疾患がなんだってんだ。私は絶対何度でも乗り越えてやる。

それに今はもう悪いところは体の中に無くなったんだ。
私はもう、あの苦しい日々に戻ることはない。
死ぬほどの頭痛も、冬でもノースリーブしか着られなかった私も、もう今はどこにもいない。

そう信じて、私は初めての手術から2カ月で退院した。

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