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褐色細胞腫闘病記 第45回「スケール・ゼロ」

目覚めたら、私の口には何かが突っ込まれている。なんだこれは。苦しい。呼吸器か。
おお、ここは新しいICUだな。以前は窓もない薄暗い部屋だったけど、とても明るくて雰囲気もあたたかい。
「三島さん、無事手術終わりましたからねぇ…」
ICUの看護師の甘ったるい声。どこか間延びしたように聞こえる。
口に何か嵌められているので声が出せない。どうでもいいからこれを外してほしいとジェスチャーで必死に伝える。

呼吸器らしき物を外してもらっていると、オポッサム麻酔科医がやってきた。
「三島さん、痛み、どうですか?」
おっ。そういえば、私、手術したんだよな。
えっ、それにしてはなにこれぜっんぜん痛くないんですけど。むしろなんだか目の前が開けてキラキラして見えるんですが。
「あの、まったく痛くないんですけど、私、オペしましたよね」
それを聞いた麻酔科医は満足げに胸を張る。
「約束守れましたね、良かったです」と親指を立てる。
「あの、なんでこれほど痛くないんですか。信じられないんですけど」
「フェンタニルという麻薬と、プロポフォールという薬を使いました。それだけではないですが、まあ、いろいろと」

プロポフォール? あれ、聞いたことがあるな。確か、これは…
「それ、もしかしてマイケルジャクソンが死ん…」
「あ、それはだいじょうぶです」追いかぶせて応える医師。
「僕たちはプロなので、量をしっかり管理しています」
まあそりゃそうだよな、思いつつ、これはネタがひとつできたとほくそ笑む。

それにしても、この完全な無痛。驚異である。
いや、そればかりではない、大袈裟に言えば、世の中が薔薇色にさえ見えている。一言でいえば非常に「爽快」なのだ。これは多用したら依存してしまうだろうなと容易に想像がつく。

そこに看護師が何か持ってくる。
痛みを10段階に分けた定規のようなものが目の前に掲げられる。
「三島さん、今の痛みの段階は10段階で言うと何番ですか」
「えっと、ゼロです」私は即答する。
戸惑う看護師。
「ゼロってことはないですよね。お腹切っているんですから」
「なんならマイナスです。気持ちがいいし、全然痛くないです」
「それは…良かったです・・・」何か言いたげな看護師。
やり取りの一部始終を見ていた麻酔科医がうんうんと頷きながら満足げに帰っていく。

今回、私のお腹、どのくらい切ったんだろうか。
私はおそるおそる手術衣をめくる。うわ、すげえな。ベンツのロゴ、また一回りデカくなってるやん。あれ、今回は縫い目にホチキスみたいなものが見える。そうか、もう今は糸で縫うこともしないのか。すごいなあ。しげしげと見入るメルセデスベンツ。

そこに妹と娘がやってくる。
「ちょっと、お姉ちゃんなにやってんの?」妹が声をかける。
「ね、傷の写真撮ってくれないかしら」私は娘に頼む。
「ずいぶん元気だね。こんなに切ってるのに痛くないの」
娘は怪訝な顔をしながら、スマホで私の傷を撮影する。思えば術後の傷跡を撮影するのはこれが初めてだ。

だが、当然だが時間の経過とともに薬は徐々に効果が薄れていく。
ICUで私を包んだ快い多幸感も少しずつ削がれていき、リカバリ室に移動する頃には「通常」の痛みが戻ってきていた。
だが、それでも、医療用麻薬の効果は絶大だった。
以前のような、火で焼かれるような痛みはやってこない。医学の進歩に感謝しつつ、私は早く一般病棟に戻れることだけを一心に望んでいた。

以下にお腹の傷の写真と、ICUでの私の様子の写真があります。
生々しいものが苦手な方はスルーしてください。

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