青いインクの赤

インク壺にペン先をつけ青いインク昇らせ「赤」という字を書いてみる。
彼女は「綺麗な碧ね」と呟いた。
アカでしょ、とボクが微笑うと、うねるような濃淡が故郷の海の色に似てると言った。ボクはアカを想起して文字を書いたんだけど。
海の見える故郷がなく都会生まれのボクにとって何色のインクで書いても「赤」はアカだった。まさかその綺麗な青いインクは碧い波だったなんて、
彼女の言葉が遠くなり、一瞬、紙の上の「赤」を形作る数本の青い線がゲシュタルト崩壊し、碧い波にしか見えなくなってしまった。

青いインクの「赤」という線の集まりをみて、夕日のアカでも血のアカでもなく、ましてや赤トンボの背中のアカでもない、そう漠然とアカしか思い浮かばないボクはちょっとツマラナクなる。
「赤」という形状は、いわゆるアカを想起しなさいと教えられた通りに思い浮かべるボクは何かが狂っているのだろうか?
そういえば子ども頃、黒で刷られたテスト「赤」の横には「あか」と書いて丸をもらっていたな。それが正しいと教え込まれたと、ぼんやり思いを巡らせながら青インクの赤に目を落とす。
折角、綺麗なインクの色なのに。
しかもその青が、藍染のアオでもなく瑠璃鳥のアオでもなく故郷の海の色だなんて。

彼女は感性の人で、ボクは意味の人なんだろうか?
学校では、ずっと感性なんて意味のないことって教えられてきた気がする。
モネっていう感性だけの人が描いた絵にも意味を見出すよう解説されたり、ショパンのピアノの調べも言葉で説明された。
生徒は「同じ」意味をもつように、「同じ」価値をもつよう教えられた。
意味あるものは価値があるものとして取引される。
だから感性にも意味をつけられたんだろう。
しかもみんなが同じ価値を認めなくちゃならないんだ。
「みんな同じ」が意味であり価値なんだから。

でも感性おおくは道端の雑草のように意味を見い出せなもの、都会では価値のないものとされ、とことん排除された。

学校で徐々にボクの耳は感じなくなり、目も鼻も感じなくなり意味に言葉に支配された。
雨だれのリズムはただの雨の音になり、青いインクの赤に至ってはアオでさえないアカになってしまった。
意味の世界では彼女は意味のない人として排除されるのだろうか?
意味も価値も関係ないってことも言うこともなく、ただ彼女は感じる。
そんな彼女だけが「生きている」気がしてならない。
すべてに意味なんて必要ない・・・って言えないボクが蒼い波に揺れいていた


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