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児童文学トラウマ名著(『ダレン・シャン』ダレン・シャン)

この読書感想文は「奨励作品 一万円」として買い取らせていただきました。

タイトル 児童文学トラウマ名著
読んだ本 『ダレン・シャン』ダレン・シャン
書いた人 ソウキ

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バンパイアを題材にした作品は数あれど、私が夢中になって読みふけったのは小学生時代に出会ったダレン・シャン作の「ダレン・シャン」だった。

作者と同じ名前を持つ少年ダレンは、初めはどこにでもいる普通の小学生、しかし町にやってきたサーカス団。シルク・ド・フリークを友人のスティーブと見に行ってから、彼はバンパイアとしての運命に翻弄されていく……。といった内容の導入から始まる。

導入自体はとてもわかりやすい、実際この作品は主人公ダレン視点で綴られた日記を読むように進んでいくので、活字に慣らすには丁度いい読みやすさだった。

しかし、大人になって改めてこれを読み直してみると、その内容の凄惨さに戦慄する。

小学校にあるのだから勿論これは児童文学である。そう、児童文学なのである。

ダレン・シャン氏はイギリスの作家だ、同国で児童文学として翻訳されている作品の中には有名なハリーポッターがある。

誰もが知っての通り、主人公ハリーの成長物語で、最後には諸悪を倒す事で物語は完結する。

ダレン・シャンも、基本的にはその流れであるが、最初に大親友との決別から始まり、友人の死、恩人の死、友人の死、10代で宿敵の子を出産した妹、友人の子供の死、死死死……。

いや死にすぎじゃないかなこれ? そして所々に主人公のメンタルをゴリゴリと抉っていくイベントに、もれなく読者のメンタルも削られていく。そして各巻に必ず1つはトラウマが植え付けられる。

確かにファンタジー作品では死は特別珍しいものではない。が、さすがに齢10にも満たない子供が殺される表現が児童文学に書かれることはまず無いのではないか。

それに拷問や食人のシーンもある。これには誰もがビックリである。改めて読み直した私が目を剥いてしまったのだから間違い無い。

とにかく、児童文学あるまじきショッキング満載な見本市のような内容だ。特に10巻の「精霊の湖」という美しいサブタイトルに惹かれると必ず手痛い目にあう、私がそうだった。

しかし、だからといって本編全部が凄惨で、不幸で、血みどろの内容かと問われたら、そうではない。

自分の過ちの代償として、バンパイアとなってしまったダレンの苦悩と葛藤。

人の血を啜る事にためらい、一時期は餓死寸前にまで陥ったのだ。

無理もない、つい少し前までは、彼は両親と妹が居る家庭で育ち、周りには友人が居たごく普通の小学生だったのだから。

己が起こした過ちの大きさ、その重圧に苦しみながらも、友人や理解者を得て、そして多くの別れを経験して少しずつ成長していくダレン。

ついにはバンパイアの頂点となり、自らの責任に決着をつけるために最後の戦いに身を投じるまでになる。

更に、あまりにも過酷な運命の最中にある中で、何ともないゆとりの時間が、ひどく魅力的に描写されている。

無二の親友を失って傷心しているダレンを慰めたのは蛇人間の少年で、彼と歳が近いのもあってか2人は打ち解けて、年相応の会話を楽しみ、はしゃぎ回ったり。

ダレンをバンパイアにし、師匠であり友人として行動を共にしたバンパイアのクレプスリーは、酔いの席での失敗談を語ったり。

その、人間臭くてどこにでもある日常が、キラキラと輝いて見えるのだ。

その分、再び奈落に突き落とされるので、とてつもなく緩急が激しいとも言えるのだが……。

小学生の頃の私は、言い換えてしまえば刺激的なこの作品を、まるで何かに取り憑かれたように読みふけった。

45分の昼休みの中、ダレン・シャンがある棚の前の席に陣取り、黙々と読み進めていた。

綺麗な友情物語や、道徳を説く作品が多い学校図書の中で、黒くてドロドロとした何もかもが入り交じった感情を書ききったこの作品があまりにも異端で、新鮮で、面白かった。

そして、外伝を含めた全13巻を、1ヶ月かけて読み終わった後にあったのは、とてつもない達成感と、ほんの少しの寂しさだった。

大人になった今なら、なぜあそこで寂しくなってしまったのかが分かる。

本との出会いと言うのは、運命の相手と出会うようなもので、運命の相手ではなければどんなにメディアや世論が面白いと持ち上げても、手に取って開くほんの少しの動作だけで、この本は自分には合わない。と分かってしまうのだ。

かわりに、それが運命の相手であったのなら、自然と視線がその本に向き、表紙を掴んだ手はまるで吸い付き、開けば一瞬で魂が活字の海に飲み込まれていく。

こうして出会った本を読む事は、恐らくデートのようなものなのだ。

その本が内包している世界観へ、手を取って連れられて、隅から隅々まで案内してくれる。

そして、読み終わるというのは、その素晴らしいデートの終わりを意味し、あの無垢で無知な自分にはもう戻れない事をまざまざと見せつけられる。

あの頃の私は、ダレン・シャンを読み終わりたくなかったのだ。と。

あまりにも面白すぎたものを読んだ弊害か、私はしばらくロス状態となり、他の本が読めなくなっていた。

そして、それから10年。

ふと思い出して読み出してみたら、あの時と同じぐらいに読みふけり、大人になってからは主人公以外の登場人物にも感情移入出来るようになり、新鮮な気持ちで楽しめた。

まだダレン・シャンを読んだことが無い人が居るならば、是非とも読んでほしい1冊である。

もし、縁がなければそれまでだが、少しでも食指が動いたのなら、手に取ってみてほしい。

児童文学であるが、児童文学にあらず。

小学生の柔い心に絶望を刻みつけたあの作品に、湧き上がるこの熱情と、今でも思い出す度に震え上がるトラウマを少しでも分かち合える人が増える事を祈る。

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最後までお読みいただきありがとうございました。

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