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書くということ(雑談)

「書くこと」が好きだ。

 書いていると、没頭しやすく、その間はある種のフロー状態になっている気がする。
書くことは「頭の中にある思考」や「思考というほどではない曖昧なもの」を外に表す行為である。
頭の中にあるだけでは、他人はもちろん自分ですら掴むことが出来ない。
外に出すこと及びその過程によって、曖昧だったものが形づけられ、整理される。
それによって、理解することが出来るようになる。

 外に出すだけなら、書かなくても、話す方が楽な気もするし、それも一理ある。
しかし、声で発したものはすぐに消えるのに対し、書かれたものは残り続ける。
さらに、声によって出される言葉は脳からすぐに伝達するのに対し、書くという行為はそれなりの労力が伴う。
その労力の中で「この表現の方がより正確に相手に伝わる」、「この順番の方が相手は理解しやすい」といったことを多少なりとも意識をする。
つまり、声によって出される言葉よりも、書かれた言葉の方が、より精錬されている可能性が高くなる。

 また、書いている際の頭の中が整理されている感覚は心地がよい。
モヤモヤしていたものが少しずつ浮かびあがり、やがてはっきりと輪郭を表し、「自分はこういうことを考えていたのか」と腑に落ちる時はとてもスッキリする。このスッキリ感はメンタルにも良い影響を与えている。

 書くという行為の中で最も基本的なことは「メモ」である。
特に頭の中に思い浮かんだアイデアや考えは、可能な限り、瞬間にメモに残すことが望ましい。
頭の中は気まぐれで、覚えていようとしても、ふとしたことで忘れてしまい、もう二度とそのアイデアには巡り合えないこともよくある。
メモに残しておけば、「ひとまずは忘れても大丈夫」という安心感もある。メモは頭の「外部記憶装置」の役割を果たすということである。

 書くには紙と電子の2種類がある。
最近はスマホやPCが主流で紙に書く機会は明らかに減りつつある。
確かに電子の方がコピーやデザインも楽で効率的である。
しかし、頭の中が整理されていく心地よさやスッキリ感は紙に書く方がやはり勝る。
そのため、仕事等では電子が主流だとしても、日常生活の中に紙に書く機会を意識的に設けたいと思っている。
社会人になってから、漢字の読み書きが学生時代よりも明らかに衰えているが、これも電子が主流となっていることの影響も多少は関係していそうだ。

 普段の生活の中で、突然、書きたい欲が発生することがある。
こういう時はチャンスで、ひとまず頭に浮かぶことをひたすら書きまくるのが良い。

もしかしたら、その中で今の自分に役に立つアイデアが現れるかもしれない。
(ちなみにこの文章も数日前から突然沸き上がった書きたい欲によって書いている。)
また、冒頭にも書いたとおり、書くことは気がつくとそれ自体に没頭している。
したがって、書いている間は普段の悩みや不安は和らいでいるはずである。
それだけでも、書いた意味があると思う。


 最近、本を読むことが増えたせいか、かっこつけて、作家の真似事のような文書になってしまった気がするが、書いた本人が満足しているのでそれでよい。

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