見出し画像

2限目:地方の大学生向けの講義(ソフトスキル向上、思考の読書、速読術)

前回に続き、地方大学生向けの講義です。桐島です。
前回の内容は、地方大学の学生は、このままでは地方の担い手になれない、というものでした。

理由は、地方の大学(特に国公立)こそ、工業化時代の授業内容のまま止まっていて、デジタル化時代の教育内容にアップデートされていない傾向があるためです(地方の大学の先生は、海外経験も少なかったり、他の地域での経験が無かったりと、最新の時代のトレンドを追えていない感あり)。

デジタル化時代の教育には、知識習得ではなく、探求学習が必要です。

実は、既に高等学校では、従来「総合的な学習の時間」とされていた科目が「総合的な探求の時間」になっています。

探求学習とは、生徒が自ら課題を設定し、その課題の解決に向けて情報を収集、整理し、分析する一連のプロセスです。

探求学習とは、「無形資産」を生み出す人の頭脳を鍛える学習です。
デジタル時代には、これを、大学でも、社会人になっても、実践しなければいけません。

それには、「読書」、なかでも「思考の読書(速読術)」が欠かせません。
やはり、デジタル時代には、「知る」→「考える」→「わかる」→「考える」→「動かす」という知の作業が必須です。

そして「知る」方法ですが、
いまやフェイクニュースが溢れるインターネット上の玉石混淆の情報から、「知る」ことは至難の業です。ググって、すぐに情報は得やすいですが、体系だった、まとまった情報はなかなか見つけにくいのが、事実です。

そこで「知る」ためには、出版されている「本」が、コスパが良いのです(本は、著者の他に、編集者もいて、基本的に校正・校閲を経ていて、正確な内容が期待できる ※校正=誤字脱字チェック、校閲=事実チェック)

特に、日本で出版されている新書は、コスパが良いです。
アメリカのボストンに2年間留学していた経験からして、アメリカでは、日本にある新書のような、すぐ読める入門本の形態はほとんどありません。あっても高価で2000円以上します。      
日本の新書は(出版数が多過ぎるという批判はありますが)アメリカの授業1コマに相当するほど良質なものが存在します。※アメリカの大学院(ボストンの平均)は、4コマ×4半期(1年間に2半期で、2年間で4半期の計算)の16コマで、1000~2000万円程度の授業料がかかります。1コマ=60万円~130万円ぐらいのイメージ

新書を読みなれていない方は、入門本から読み始めるのをお勧めします。
徐々になれてくると、中公新書、ちくま新書、岩波新書のコスパの高さが分かってきます。

それでは、以下に、私が国内の大学(京都大学、同志社大学、立命館大学、長崎県立大学など)で講義した「思考の読書」の内容の一部を紹介します。

事前課題として、講義に本を1冊持ってきていただきます(出来る限り読んだことのない新書が望ましい。小説はダメ)

それでは、以下では講義スライドを交えながら、実際に講義に入ります。1回60分の内容です。

スライド1
 それでは、本日は、”Adventure through and among Books”というタイトルで、「思考の読書」をお伝えしたいと思います。皆さんの親の世代とは違って、今現在は、Youtuberや起業家が増えているように、皆さん1人1人の価値が高まっていて、出来ることが増えています。

皆さんが、自分の価値を高めるためには、大学の授業をぼんやりと聞いているだけでは時間の無駄です。子どもの時は、親のせい、家庭環境のせいというように周りの責任にすることが出来ましたが、20歳以上になり、大人になると、自分の人生に対して自分で責任を持たなければいけません。

厳しい話ですが、年間50万円以上の授業料を大学に払いながら、バイトばかりして、自分の頭で何も考えずにいると、いまのYoutuber時代、デジタル時代では、お先が真っ暗な状況です。

Youtuberや起業家になるにせよ、ビジネスマンや公務員になるにせよ、
大学生に求められているのは、「知る」→「考える」→「わかる」→「考える」→「動かす」という知の作業です。

本日は、いまの時代を生きるのに必須の「思考の読書」を、私自身の過去の経験を交えながら説明したいと思います。

スライド1


 私は、いまは読書好きですが、中学・高校生の時は6年合わせて、10冊以下しか本を読みませんでした。日本語力もままならない状況で、中学校3年生の時にグループワークで卒業研究をしましたが、私の家に友人が集まった時、ミーティング終了後、母親から私の発言が理解不能と通告されて、衝撃を受けました。自分の日本語能力が低いことは理解していましたが、実の親から宣言されると、身に応えるものでした、、、(笑)

そんな状況で、当然、大学受験にも失敗して、浪人をしている時に、とある大学の国語の入試問題に出会いました。あまりにも面白い内容だったため、原典を見てみると、「待場の現代思想 内田樹著」とありました。

画像2

スライド2
 本を入手してみると、書かれている内容が、悩める浪人生には、腑に落ちるものばかりで、ワクワクするものばかりでした。大学というのは何のために行くのか、浪人中もモヤモヤしていたのですが、大学時代に振り返ると、「知的好奇心」というものが、この本との出会いをきっかけに芽生えたのでした。

例えば、私は、当時「他人をバカにしてはいけない、差別してはいけない」ということを道徳的には理解していたものの、自分の考えとして完全に納得してはいませんでした。子どもじみていたのです。

そんななか、
「わたしたちは、状況が変化すればいつでもマイノリティにカテゴライズされてしまう可能性の中に生きている。だから想像力を巡らせ、マイノリティの人たちのことを考慮しなければならない。繰り返すが、それはヒューマニズムではない。わたしたち自身を救うための合理性なのだ」
という内容を読んで、感銘を受けました。

結局、自分も、状況が変化すれば、一瞬でマイノリティに陥ることがあるわけです。例えば、知らない土地に転校すると一瞬でマイノリティです。そのため、新入りをイジメることは絶対に許してはいけないのです。

それは、自分に跳ね返ってくる可能性が高いためです。これは、ヒューマニズム(道徳)の観点では決してなく、自分自身を救うための合理的なのだ! と言い切っている所に、妙な納得感を覚えました。

それ以外にも、合点がいく内容が多い本でした。本を読むと、自分が知らないこと、知りたいことが、分かる。そして、自分の悩みを解決してくれる、というのは大きな気づきでした。

浪人中だったこともあり、大学生になったら、沢山の本を読みたいを思うようになりました。

スライド5

スライド3
 晴れて大学生になった私は、猛烈に本を読むようになりました。
最初は、大学図書館で本を借りていたのですが、気に入った本を購入して、本にラインマーカーを引くと、本を借りて綺麗に読むよりも、頭に残ることに気づきました。

あまりお金も無かったので、本を買うとなると、「これでもない、あれでもない」と散々吟味をして買うので、買った本はしっかり読まないともったえないと思うようになり、しっかりと読みました。

新品の書籍って買った瞬間に、価値は半減して、中古で売るにしても安くなってしまうんです。そのため、綺麗に読むよりも、心にぐっとくる箇所や印象的な箇所に綺麗に線を引っ張る癖が身につきました。

また、先ほどの「待場の現代思想」には、レーニンが言った「量的変化が一定の段階を超えると質的変化をもたらす」と記載がありました。

私は、中高と卓球部だったのですが、卓球台の数が限られていたため、練習できない部員は、ランニングをすることがありました。このランニングは、卓球には関係無いと思っていたんですが、ランニングを繰り返すことで基礎体力がついて、卓球の練習も長く出来るようになるという絶大な効果がありました。地道なランニングの下積みによって、卓球のスキルが向上していくことが目に見えました。

こんな経験から、中高で10冊しか本を読んでいない私は、「読書」に関しても、まずは「量的変化」が必要だと考えました。そのため、1年で100冊、卒業までの4年間で400冊の本を読むことを目標に掲げました。

しかし、自腹を切って、本を買うのは高い、、、と悩んでいた所、本を10冊読んで読書感想文を書いて大学生協に持っていくと、書籍が15%オフになるキャンペーンがあることに気づきました。

これは、一石二鳥で、沢山読むと、また次の本が少しばかり安くなる、ということで、本当に必要な本のみを、買うようにしました。

経済学部に所属していたので、経済学の本も読みましたが、気の向くままに雑多な本を読みました。大学生協のおばちゃんとも、仲良くなり、大学卒業後、社会人になっても顔を覚えて貰っているぐらいです(*´ω`*)

社会を知りたいと思った時に、オススメなのが、池上彰の「そうだったのか!」シリーズです。池上さんは、いま沢山の本を出版していますが、「そうったのか!」シリーズは、文庫本にもなり、少し内容が多いのですが、お金を出して買うのであれば、損ではありません。

また、人生をどのように生きようか、就活や進路決定を前にして悩んだ時に、村上春樹の「ノルウェイの森」には救われました。死ぬことを意識すると、「如何に生きるのか」をより深く考えられるようになりました。

このように、何冊もの本にお世話になったり、救われたりしました。
悩んだ時に、友達に相談するよりも、本の方が納得感のある解決策を提示してくれる気がしました!

スライド4

こういった形で、大学時代に、読書の「量」をこなすことで、世の中の輪郭(仕組み)が少しずつ分かるようになってきました。

しかし、「量」から「質」への転換は、大学時代には果たせませんでした。

「知る」→「考える」→「わかる」→「考える」→「動かす」で言えば、「知る」→「わかる」で、新しいことを知って、納得して、終わってしまっていたのです、、、

「質」への転換は、大学卒業後に社会人になってから訪れました。

次回、3限目で詳細に触れたいと思います。
See you soon.



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?